今日のサイパン パート2

組織で評価されない人の12の特徴、、と言う記事です

昔むかしの若い頃、血気盛んだった頃、気付かなかったし逆にそれが必要だと思い込んでいた事もあった。

今なら解るなぁー! としみじみ思ったのでここに残したくなりました。

 

1、「一貫性の欠如」

        *ごまかす、人の手柄を横取りする。周りに不信感を持たせるような振る舞いをする。

 

2、「役割りの無理解」

        *上司にとって何が大事かをわかっていない。

 

3、「自己中」

        *人と協力して仕事をするのを嫌がる。

 

4、「傲慢」

        *高飛車で挑発的、トラブルメーカー。

 

5、「頑固」

        *組織の利益より自分のエゴ、絶対に譲らない。

 

6、「理論至上主義」

        *理屈っぽい、直感や第六感を全く受け入れない、融通の利かない石頭。

 

7、「偏見」

        *異性や異なる立場の相手を軽視する。

 

8、「変化への抵抗」

        *変化を嫌がる、新しいアイディアも非現実的と切り捨てる。

 

9、「仲良しクラブ」

        *かつての同僚の上司になりきれない、いつまでも仲良しクラブのまま。

 

10、「まかせない」

        *人に仕事を任せられない、自分でやった方が簡単と思っている。

 

11、「問題の誇張」

        *解決方法よりも問題自体にとらわれすぎ、過度の心配性。

 

12、「無用なユーモア」

        *人を傷つける皮肉や無神経なユーモアばかりを言う。

 

 思い当たる事があります。

 でも、さすがに自分達で会社を運営しているとこんな事はしていられなくなります。

 振り返ると、、パウパウメンバー、皆大人になったなぁ~苦労したしなぁ、、としみじみ思う。  

 

 

 

カップヌードルから”ごはん”が出たのね♪

箱から中身を全部取り出し、箱に水を入れ中身を入れる。

そして電子レンジで約5分 。。。その後蒸らすと更においしいんだって。

 

詳細はパウパウアイランドブログ お土産編でご紹介中です。

 うふふ、、いつあけようかな♪   楽しみ♪

ん!何?全くわからない 

全く何のことやら私には意味不明!

それはですね、女子中高生のケータイ流行語です。

 

1、「リア充」 2、「てへぺろ」 3、「あげぽよ」 4、「うけぴー」 5、「ありえんてぃ」 6、「アラシック」

 

まだ他にもありそうですが、もういいですお腹いっぱい。

考えてもわけワカンネェ~し、、、。

 

しかしですよ遊びで使っている分は楽しくていいと思うんだけどきちんとお話をしなくてはいけない場面では

絶対に、間違っても使うな!、、、と言っておきたい。

だいたい、メリクリ、あけおめなんてのも許せないのよ。

 

 

 

地獄谷の遺品

 

サイパン島地獄谷と呼ばれる洞窟で見つけました。

注射器のようです。

 

洞窟内はどんどん傾斜が強くなっていて、昨日も足を滑らせ

少しばかり崖を削ってしまいました。

その時に転がり出てきたのがこの注射器です。

日本軍のものでしょうか、もしかしてヒロポン?

 

まだまだ遺品が出そうです。

 

 

 

 

 

 これは地獄谷へ行く道の入り口近くで見つけました。

 雨がたくさん降ったので埋っていたのが出てきたのでしょうか。

 半分に千切れてしまっていますが、日本軍の防毒マスク

 吸収缶の部分です。

 

 この防毒マスクをつけての作業はとても息苦しいんだそうです。

 なので思わず外してしまったと、、、、、、、。 

 お客様が教えてくれました。

洞窟に残る遺品

戦後66年ですが、サイパン島が玉砕したのは終戦の1年前なのでここでは67前ということになります。

米軍占拠後も島のあちこちの洞窟、ジャングルで人々は隠れ潜んで暮らしていたと、、、。

 

今もジャングルに入ると割れたビールビン、一升瓶、日本食器(ちゃわん、どんぶり、湯呑み)があちらこちらに

散乱しています。 戦争中の遺品は勝手に動かしてはいけないという法律があるのでそのままにされているのだと思います。 でもどうしても我慢できないとき、、私はこっそりと一か所に集めてしまいます。

洞窟に入るとすでに誰かが集めてくれたんだろうな、と思うことがしばしばあるので、みんな同じ気持ちなのかな?

と思い少し安心します。 

 

下の写真、一番左のくしはスーサイドから飛び降りた方の持ち物なのか逃げる途中に落とされたのか?

岩に空いていた小さなくぼみにスポッとはまるようにありました。

どう見ても昭和初期の日本女性のものでしょう。

 

隣りの写真3枚はマッピ地区奥の洞窟の中に残されていたものです。

大き目のアルミ製弁当箱のふたがありました。 壊れたビン、壊れた櫛、壊れた茶碗、ぼろぼろのヘルメット、そして骨。

 

一日も早く回収してせめて体の一部だけでも祖国日本にお送りしたい。と思うのです。

微力ながら出来ることからやっていきます。

チャモロ語になった日本語

サイパン島に今も残る日本語はたくさんあって、もう現代の日本では使わないような言葉まで残っているのですが、

こんな言葉まで使われていたんだととても驚いた日本語があるのです。

 

島で良く耳にする日本語

ぞうり(ビーチサンダルの事)、弁当、流し、コウコ(漬物の事)、てんすい(雨水の事)、おんぶ、そば(麺類全般の事)

 

少し年配の方だと

さるまた、ふんとし(ふんどしの事)、乳バンド、便所、空襲、配給、足袋、ふとん、電気、線香等などとたくさんあります。

 

で、、今回私が耳にしてえぇっ~と驚いたのがこの言葉。

 

            【じんけん】

 

この単語がどういう会話の中で出てきたかと言うと、HPO(サイパンの歴史保存局)で打ち合わせをしていた時に、

サイパンには1000以上の洞窟があって、まだ誰も入ったことの無いような洞窟もたくさんある。

どれくらい深いのか、水が溜まっているのか一切わからないので洞窟へ行く時は必ずきちんと装備をして行くように

、、と言うアドバイスを頂きました。

そしてその時「懐中電灯はちゃんとした良い物を持って行け、ジンケンを買っちゃいけないよ」。と言われたのです。

この会話はもちろん英語です、なのでこんな感じ、、「DO NOT BUY JINKEN

 

ジンケンとは、人絹の事です。

人工的に作った絹の事、、すなわち偽物、まがいものという意味になり、昔は人絹イコール偽物という意味でつかわれていたのですね。

一緒にいた日本人で人絹という言葉を知っていたのは自分+あと1名だけでした。

 

会社に戻っていつものようにみんなに聞いてみました。

なんと知っていたのは、、ピートとテスの二人で偽物、インチキという事だよねと見事正解。

あと数名は、、なんですかそれ?、、まぁいつもの事ですけどね。 (こういう時にものすごく歳の差を感じるのよ)

 

11月、、、もう一度トルゥー洞窟へ行ってきました

トルゥー洞窟の名前の由来はチャもロ語で「牝牛の叫び」みたいな意味になるそうです。

潮吹き岩のような物があって波と風が入り込むと「ウォ~、ウォー~」と言う音が聞えます。

別名ドラゴン洞窟とも呼ばれています。

前回もご紹介しましたがここへ行くのはラストコマンドのずっと手前になるのですが、

海側のジャングルに入りひたすら下っていくと断崖絶壁に近い海側に出てきます。

海が見えてきたらそこから岩肌に沿ってずっと行くと洞窟が見えてきます。

下の写真は向かって左から、絶壁から見下ろした海、真ん中はちょっとふり返って撮った写真。

一番右は今目指している方向に見える岩。、、、まぁこんな感じ。 

岩肌が尖っているので転んだら血だらけになるんだろうなぁ~、と思いました。

靴底に岩が刺さります。

いよいよ目指す洞窟が見えてきた!

太陽の光が一筋まっすぐに差し込んでいます。 

右端の写真が目指す洞窟の入り口。

中に入るのには岩棚をよじ登って、、、ヨイショ。

鍾乳石がつるつるすべるので要注意です。 こりゃ、すべって落ちたら痛そうだ。

右端の写真は中から外を撮ったものです。

 

中は広いです。

奥のほうにいくつもの洞窟があるのですが次の洞窟に入るのには又棚に上らなければ行かれません。

しかし、、つるつる滑って断念。 しかし一緒に行ったCちゃんは勇敢にもどこまでも行ってしまうのです。

待ってくれぇ~、、一緒に行きたい。 が、しかしツルリ、ズルリ、、と滑るのでついていかれませんでした。

洞窟の中には明らかに人が住んでいた(隠れていた)様子が残っています。

誰が履いていたんだろう、、この靴は。 皆助かったのだろうか? と思いきや、、あぁ~骨だ。

67年前、確かにここに人が居たんですね。 戦没者のお遺骨です。

 

10月31日 ハロウィンだ!

10月31日、ハロウィンです。

フィエスタリゾート&スパ スタッフの恒例コスチュームです。

 

今年も気合が入っていますね。(お見事!)

 

パウパウオフィスでもトリック OR トリートと言いながら入ってくる

かわいい(中にはすっごく怖いのもいた)子供達にキャンディーを

配りました。

 

そしてこのハロウィンが終わるとオール ソウルズ デー。

皆ご先祖様のお墓参りに行くんですね。

明日の晩はお墓にたくさんのキャンドルが灯ってとてもきれいです。

 

フィリピンではこの日はお墓にテントを張って寝泊りしたり、

みんなで墓でバーベキューしたりするんだそうです。

ご先祖様もさびしくないね、、。

ドル安! 年内に60円? (10月ももう終わりですね)

円高、ドル安は更に加速する。

年内には1ドルが60円台になる可能性もある、、と、、。

しかも最終値は50円!?!?!?! 

勘弁してください、、私本当に困っちゃいます。

今だってね買えないのですよ、何が買えないって【ポン酢】です。

サイパンではポン酢(日本の醤油ポン酢の事です)が今5ドルします。

ポン酢に5ドルは出せない。

もしも1ドルが50円台になったらポン酢は一体いくらになるんだろう。

ポン酢どころかきゅーぴーマヨネーズも麺つゆもカレールーも買えなくなってしまいます。

なんて、個人単位の心配している場合じゃないですね。

 

ハバネロらしくなってきた

 

 

 

 

やっと色がつき始めました。

ここからが楽しみです。

 

さて、、辛い辛いハバネロに育ったのか?

辛くもなんとも無いちっちゃなピーマンになっちゃったのか?

アチョーテ

アチョーテの花とその実です。

チャモロ料理に【レッドライス】と呼ばれるオレンジ色のご飯があります。

見た目はチキンライスに似ていますが全く別物です。

 

アチョーテの実を水につけておくと水に色がつきます。

色は実によって黄色だったり、濃いオレンジ色だったりと微妙に異なります。

この色が出たお水を使ってご飯を炊きます、その時に炒めた玉ねぎやベーコンなどを一緒に入れます。

 

アチョーテは食品の着色だけではなく漢方薬としても重宝されているようです、

ちょっと聞いてみたところ切り傷には葉っぱをきざんで傷に貼り付ける、又葉っぱで作られたお茶は

皮膚病や解熱剤としても使われるそうです。

 

 

近代的なフィエスタリゾートの松明(タイマツ)

 

本格的なミクロネシアの踊りを見るのなら

フィエスタリゾートのジョイフルデイナーショーが一押しです。

BBQやチャモロ料理、コブタの丸焼きもあります。

今日お伝えしたいのはこのデイナーショーが始まる頃に

お庭に点火される松明です。

 

松明と言えば木の棒に油をしみこませた布を巻きつけて

火をつけるものだと思っていたのですが、ここのはとても

近代的なのですよ。

”近代的な松明”というのも妙な表現になってしまいましたが、

だって、ガスなんですよ。

えっ? 普通ですか? いやぁ~サイパンでは近代的です。

しつこいですが、、だって、、ガスですよ!

 

 

サイパンらしい写真を集めてみました

今日はサイパンの日差しをいっぱい浴びた明るいお写真です。

プルメリアもハイビスカスも満開です。    のどかだなぁ~。

 

 

 

 

 

    そして、なんともサイパンらしい子供達。

    ちょっと昔の写真なので、もう大きくなったと思います。

    見ているとこっちまで笑顔がこぼれそうです、、。

    思わずニヤッとしてしまいました。 

いくつになっても大事だよね、乙女心。

パウパウツアーズオフィスメンバーの写真を載せてみました。

 

私「みんなの写真載せたよ」

Ka「オット、、二の腕が、、、、」

私「大丈夫だよ、誰もそんなとこまで見てないって」

Ka「いや、、乙女心がサッ」

 

 何ィ~、、、乙女心って!! おぉ~い、いくつになったのよ。 (ひとり言です)

 

 

10月14日 朝

お花がたくさん咲きました。

手をかければちゃんと答えてくれる植物って、、、いいなぁ、と思う。

 

 

夕べの月

昨晩(10月13日)の月です。

肉眼で見るほうがずっと綺麗。 月の写真って何でこんなに難しいのでしょう。

アマゾンで買ったフェンス

 

アマゾンで買ったフェンスが届いたので早速花の周りに立ててみました。

何か、、庭らしくなってきた(うふふ)

 

娘に「我が家には庭は無い、、あれは全てヤードと言うのだ」と言われチョイと意地になってます。

フェンスつけたり、ソーラーライト付けて見たり結構頑張っているのですが、。

なかなかネェ~思うように進まないもんです。

 

 

そろそろハロウィンですね

 

後、半月ぐらいでハロウィンですね。

毎年前日にキャンデーを買いに行って大袋は売り切れ!

なので今年こそは早く準備をしようと思います。

でも、なぁ、隠しておかないと食われちゃう。

 

この写真は去年のハロウィン。

フィエスタリゾート&スパのスタッフの皆さんです。

毎年見事なお衣装とお化粧で、毎日会っているのに

この日ばかりは誰が誰だかわからない。

 

千人洞窟

通称マーメイドケーブ。

千人洞窟とも呼ばれています。

今は立ち入りが出来なくなっていますが

以前は観光ポイントにもなっていた場所です。

 

かなり奥深い大きな洞窟ですがたぶん千人は入れない。

戦争中ここにもたくさんの人が隠れていたそうです。

入り口近くに米軍の爆弾が落とされ奥のほうに居た人たちは助かり、

入り口付近にいた方は皆さん亡くなられたのだそうです。

 

 

オーブ?

 

 

 

 

 

そりゃオーブも出たくなりますよ。

遺骨がありましたもの。

サイパン殉国の歌

 哭け怒れ奮えよ撃てよ夕映えの茜の雲や血に咽ぶサイパンの島
 皇国を死して護ると つわもの等玉と砕けぬ

 

 哭け怒れ讃えよ褒めよ皇軍に力協せて同胞はよくぞ起ちたり
 勇ましや老いも若きも義に燃えて国に殉じぬ

 哭け怒れ讃えよ褒めよ武器執りて起ち得る者は武器執りて皆戦えり
 後には大和撫子紅に咲きて匂いぬ

 

 哭け怒れ讃えよ褒めよ代々享けし忠武の血もて旗印高く揚げたり
 仰ぎ見て同じ心に戦いに我等続かん

 哭け怒れ奮えよ撃てよ千万の敵と言うとも皇御民何か恐れん
 天津日の照る日の本ぞ日をおいて国を護らん

どうしても死ねぇ~、死ねぇ~と言っているようにしか聞えない。

結局多くの人が死んで島に残ったのは遺品と慰霊碑。

さびた戦車や大砲は今もそのまま島にある。

日本国はこれらの物全てを権利放棄したので島の人達がこれをどうしようと

一切口出しできないんだそうです。

でもね、国の財産であった戦車や大砲は仕方ないとして、個人の遺品は返してもらって欲しいと思うのです。 

何か空しい、すっごくむなしい。

 

今日は何故か、事務所の窓から見える空が青ければ青いほど空しくなる。

 

 

 

サンパギータ

○とみちゃんからもらったサンパギータが急に成長し始めました。

葉っぱが急に青々と生い茂り毎日花を咲かせ始めました。

この花とてもいいにおいがします。

フィリピンの国花だそうで、アラビアジャスミンとも言うそうです。

一説によると「永久の愛を誓う」というタガログ語が語源だとか、、。

日本ではマツリカ(茉莉花)と呼ばれていますが、茉莉花と言うのは

中国語でジャスミンの事なのだそうです。

中国民謡に「茉莉花」と言うのがあって歌詞は ↓ です。

 

     好一朵茉莉花,好一朵茉莉花
     满园花开香也香不过它
     我有心采一朵戴,又怕看花的人儿骂

     好一朵茉莉花,好一朵茉莉花
     满园花开雪也白不过它
     我有心采一朵戴,又怕来年不发芽
     我有心采一朵戴,又怕来年不发芽

 

  日本語訳を見つけました ↓ 。


きれいな茉莉花、きれいな茉莉花
庭中に咲いたどの花も その香りにはかなわない
一つとって飾りたいけれど 怒られてしまうかしら
きれいな茉莉花、きれいな茉莉花
雪よりも白く咲いた茉莉花
一つとって飾りたいけれど 笑われてしまうかしら
きれいな茉莉花、きれいな茉莉花
庭中に咲いたどの花も その美しさにはかなわない
一つとって飾りたいけれど 来年芽が出なくなってしまったらどうしましょう

 なんだか、、すごくいいよねぇ。

 

 

ヤッタ!実が成った    (10月10日)

 

 

 

 

ピートにもらった種をまいておいたら1本だけ立派に成長しました。

さて、、これは何だか解りますか?

ピーマンじゃァ~ありません。

失敗したしし唐でもないです。

この後オレンジ色に色づくはず、、です。

めっちゃ楽しみ♪♪

いつの間にやら成犬になっていたレオンちゃん

半年前はポピーだったのに、、、。

ドラゴンケーブ または TOROケーブ (10月)

しばらくご無沙汰してしまいました。

外でのお仕事が多かったので云十年ぶりに日焼けをしております。

あの頃は日焼けの皮が綺麗に剥けたのに今はこすり落とす!そぎ落とす!と言う感じです。

そして今回初めてドラゴンケーブ【チャモロの人はトゥルゥケーブと呼ぶらしいです】へ

行ってまいりました。

 

 *トゥルゥと言うのはチャモロ語で牝牛の事だそうです

 

行ったのは良いのですがとても疲れてしまい、たどり着いた時には写真を撮る元気も失っておりました。

どうにか数枚撮ったもののどれもこれもよぉ~解らんものばかりでした。

が、、二度と行くことがあるかどうか!と言う場所だったので写真アップする事にしました。

この洞窟入り口は太平洋に面しているので、もし近くを船が通ったとしたら岩肌に張り付いている

私達数人の背中が見えたことだろうと思います。

中はかなり広く、しかも奥の方を覗くと部屋がたくさんあるように見えます。

蟻の巣観察用の透明な容器を想像してみてください。。。あんな感じ、しかもかなり深い穴もあります。

洞窟内には人が生活していた跡が残されていて靴底、一升瓶、ビール瓶、茶碗かお皿のかけら、

そして手榴弾も残されていました、そしてもちろん人骨もありました。

何時か必ず回収して祖国に帰れるように手を尽くしますので今しばらく待っていてください。

そう心に誓いました。

 

こんな所にも、、、、、。

ラストコマンドの手前の道路わきです。

車道から5メートルも離れていない場所。

北部観光へ行く時は必ず通過する場所です。

ここにも日本軍の監視哨のような建物が残っていました。

中には人のものと思えるお骨や瓶などの遺品もありました。

こういう洞窟がまだまだたくさんありそうです。

 

サイパン島で眠る英霊

厚労省のホームページにサイパン島での戦没者が9月12日に

帰還したというお知らせが掲載されていました。

ご帰還に関し少しだけお手伝い出来た事もありとても嬉しく思いました。

焼骨式の時に誰かが言っていたのですが「焼骨時に立ち上る最初の煙は必ず北に流れる」

この日も風向きに関係なく最初の煙は日本の方向、北に向かっていきました。

何故かもの凄く悲しい気持ちになりました。

 

「戦陣の日々」「慟哭の島」の著者である金谷安夫氏に報告のメールをお送りしたのですが

どうされているのでしょうか連絡が取れないのでとても心配です。

金谷氏とのお約束は必ず果たす、、と今一度お伝えしたい。

 

この島にはまだ凡そ26,000柱の御遺骨が眠っています。

いそがないと土に返ってしまいます、、厚労省の皆様どうぞ一日も早く英霊の皆様を

祖国に帰してあげて下さい、、と切に願いました。、、、、ひとり言です。

パウパウ今日のサイパン 雨季に入ったようです

ドッグタッグ サイパンのワンコも登録制になりました。 

戦時中の遺品

67年間近くもしくはそれ以上の間、サイパンの土中にあった遺品たちです。

すじ雲って言うのでしょうか

刷毛ではいたようなサイパンでは珍しい雲でした。

ピートが電話で「雲が出てるから空を見て!」と言うので外へ出てみると

あれまぁ珍しい雲が、、。

地震雲とは違いますよね。

(6月11日 午前11時ごろのサイパンの空)  

双眼鏡が欲しかったんです

双眼鏡をやっと、、やっと買いました。

友人のMっちゃんが再来週遊びに来るというので頼んで買ってもらいました。

(なのでまだ手元には届いていないのです)

が、Mっちゃんが今日届いたよぉ~というお知らせとともに

写真を送ってくれました。

 

双眼鏡を探し続けて早数か月!

アメリカのホームページでオーダーしようとしたら

あなたの住む地域には郵送できません!(涙)

あっちこっちのホームページに挑戦するもどこもかしこも

サイパンには郵送できないと悲しいお返事が返ってくるばかり。

(そうなるとますます欲しくなる)

しかし、テレビもDVDもデジカメもコンピューターディスプレイも送ってくれるのになんで双眼鏡はだめなんだろう!? こういう時サイパンは不便だなぁ~と思う。

 

T○S○ツアーズの西○さんがフィッシングタックルに売ってるよ!と教えてくれたので行ってみました。

でも、、違う!これじゃない。 

 

 

双眼鏡が欲しいと思ったのは

タポチョ山の頂上からテニアン島、ヤギ島が見たい。

スーサイドのあたりを優雅に飛び交うシラオネッタイ鳥も見たい。

(時々見えるアナタハン島も見えるかな?)

 

そして、、このスーサイドの崖に空いている穴!

この中が見たい。

 

夜の星も見たい!

と、、思ったのです。

 

「99年の愛」 いもと あやこさん やっぱ好きだなぁ~

見たいと思っていたドラマ「99年の愛」をようやく見ることができました。

お友達のMっちゃんが録画して送ってくれました(ありがとう♡)

 

写真花嫁で登場した「いもとあやこさん」

いい味出してましたね。演技どうのこうのっていう前になんかやっぱり好きだなぁ。

珍獣ハンターのいもとさんも好きだけどもっと映画にも出てほしい!と思いました。

 

しかしアメリカに渡った皆さんも本当にご苦労されたんですね。

日本人には飲み物も売ってくれない、安い賃金で泥まみれになって働いて。

ようやく手に入れた土地で家族が生活できるようになったと思ったら戦争が始まり

家も土地も手放して収容所へ入れられて、、。

2世にはアメリカ国籍がもらえたが、戦後1世は一度帰国してしまうと2度とアメリカには

戻れない。 家族がバラバラになってしまうのか2度と故郷の地を踏まないか、、。

むかしの日本って本当に貧しかったんだなとつくづく思いました。

ここサイパン島も戦前は数多くの開拓移民団の人たちが移住して島の経済を

支えていたのですよね。 

ここサイパン島も今島で生まれた子供はアメリカ国籍がもらえますが、ふた親が外国人の場合は

島の永住権はもらえていません。

2011年11月までは滞在資格はあるものの、今後どういう待遇になるのやら。

今、ここに住む外国人は不安でいっぱいです。 そういう意味ではむかしと大差ないのかな?

 

また、独り言、、つぶやいてしまいました。

 

 

 

太平洋の奇跡 大場隊47名が下山した時の歌

映画:太平洋の奇跡、映画館で売られているパンフレットをお土産に頂きました。

もう一回見たいよね!などとみんなでパンフレットを見ながら話していたのですが、

ふと大場隊が下山してきたときに歌っていたのは軍歌【歩兵の本領】だよねと言ったら

一緒に映画を見たはずのパウ2のYちゃんが「この歌ですよね」と言ってパンフレットを

指さしました。

んんん!これは【椰子の実】の歌だよ。

名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ♪ 、、、って、こんな歌じゃ勇ましく行進できないでしょ!

あ~びっくりした。

 

この歌だよこれ

 

 万朶の桜か襟の色 花は墨田に嵐吹く 大和男子と生まれなば散兵戦の花と散れ
 万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戔の花と散れ

 

 尺余の銃は武器ならず 寸余の剣何かせん 知らずやここに二千年 鍛えきたえし武士の魂
 尺余の銃は武器ならず 寸余の剣何かせん 知らずやここに二千年 鍛えきたえし大和魂

 

 軍旗まもる連帯は すべてその数二十万 七十余ヶ所にたむろして 武装は解かじ夢にだも
 軍旗まもる武士は すべてその数二十万 八十余ヶ所にたむろして 武装は解かじ夢にだも

 

 千里東西波越えて 我に仇なす国あらば 横須賀出でん郵送船 暫し守れや海の人
 千里東西波越えて 我に仇なす国あらば 港を出でん輸送船 暫し守れや海の人

 

 敵地に一歩我踏めば 軍の主兵はここにあり 最後の決は我が任務 騎兵砲兵協同せよ

 アルプス山を踏破せし 歴史は古く雪白し 奉天戦の活動は 日本歩兵の粋と知れ

 

 携帯口糧あるならば 輜重はいらず三日四日 曠野千里にわたるとも 散兵戦に秩序あり
 携帯口糧あるならば 遠く離れて三日四日 曠野千里にわたるとも 散兵戦に秩序あり

 

 退く戦術われ知らず 見よや歩兵の操典を 前進前進また前進肉弾とどく所まで

 わが一軍の勝敗は 突威最後の数分時 歩兵の威力はここなるぞ 花散れ勇め時は今

 

 ああ勇ましの我が兵科 会心の友よ来たれいざ ともに語らん百日祭 酒盃に襟の色うつし

 歩兵の本領ここにあり ああ勇ましの我が兵科 会心の友よさらばいざ ともに励まんわが任務

 

何とも勇敢に聞こえる歌ですが、軍歌というのはすべて兵隊さんに死ねぇ~、死ねぇ~って言っているように

聞こえるんですよね。

東條英機:戦陣訓にしたって「生きて補修の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残す事勿れ」とか、

南雲海軍中将の 断乎進んで米鬼に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。

戦陣訓に曰く生きて虜囚の辱を受けず。

勇躍全力を尽して従容として悠久の大義に生きるを悦びとすべし。

人命は鴻毛より軽ろし! 、、、、とか。

 

間違ってる、違う!  当時も違うだろ!と思っていた人はたくさんいたんだろうな、でもねそんなこと口にしたら

「非国民」と言われ、それはそれは大変なことになったんでしょうね。

 

ひとりごとです、、、、。

 

山崎ハコ、泉谷しげる、岡林信康!

古い話ですが、ずっと昔によく聞いた歌。

大好きでよく聞いていたのは【山崎ハコさん】 【泉谷しげるさん】 【岡林信康さん】 【赤い鳥】

って言ってもPAUPAUのみんなは泉谷しげるさんしか知らないようです。

そりゃそうだね、、時代が違いすぎる。

 

山崎ハコさんの歌を今改めて聞いてみると、とてもとても懐かしい思いでいっぱいになるのですが

イヤァ~、、こんな歌ばっかり聞いててよく自殺しなかったもんだと思いました。

でも泉谷さんとか岡林さんも聞いていたのでバランスが保てていたのかもしれない、、とも思いました。

 

山崎ハコさんの歌は

織江の歌 (九州の炭鉱が舞台になった青春の門という作品に出てくる織江ちゃんの歌)

呪い    (こんこんこんこん釘を刺すぅ~ 、、、人形にくぎを刺す呪いの歌)

唄いたいの

サヨナラの鐘

兄妹心中

ひとり唄

飛びます

 

赤い鳥は【竹田の子守唄】、、、これは岡林の【手紙】に通ずる歌です。

いっとき放送禁止歌にもなりました。放送禁止にすること自体がもう差別だって思いましたけどね。

 

岡林信康さんの歌だと【山谷ブルース】【私たちの望むものは】【チューリップのアップリケ】【手紙】

             【友よ】【くそくらえ節】【おまわりさんに捧げる歌】【誰ぞこの子に愛の手を】

 

泉谷しげるさんは【黒い鞄】【春夏秋冬】【眠れない夜】【国旗はためく下に】

 

山崎ハコさんは暗い歌うたいの代表でしたが、その後中島みゆきさんも最初の頃は暗い曲が多かったですよね。

泉谷しげるさんは今も吠え続けてますね、、震災後の「花見すりゃーいいじゃねえか!祭りは祈りだぁ~」って

吠えてるのを聞いてちょっとおとなしくなりすぎてしまった自分がむなしくなりました。

 *どこがおとなしくなりすぎたかって? これでも相当おとなしくなったんです。       

 

 

ハッピーマザーズデー

今日は母の日!

某ホテルの営業マンGさんからクッキーを頂きました。

「HAPPY MOTHERS DAY」とのことで、、、。

 

Gさんどうもありがとう。とだけ伝えればいいものを私は又余計な事を言ってしまいました。

「マザースデーのクッキーも嬉しいが、、、、何でバレンタインデーじゃないんだ!」

 

Gさんはホントに真面目で誠実な方で

「あっ、そうですよね。確かに!今度バレンタインデーに持ってきます」

そんな素直に言われてしまうと言った自分が恥ずかしくなります。

なんか意地悪婆さんになった気分だ!(十分素質はあるのは自覚している)

 

彩帆島

碧海茫々浩蕩波

(へきかいぼうぼうこうとうのなみ) 

白鷗飛去吼黿鼉

(はくほうとびさってげんだほゆ)

同胞悲運腸堪断

(どうほうのひうんはらわたをたつにたえて)

萬歳崖頭唱挽歌

(ばんざいがいとうばんかをしょうす)

 

この詩の意味は

 

ここサイパンの孤島は青い海原が果てしなく広がり

萬古の波が岸に打ち寄せ、白いカモメが飛んでゆく大空のもと

大海亀やワニがほえていつようにも聞えてくる

いま、私はかつて散華した同胞の運命に思いをはせ

はらわたのちぎれるような悲しみをこらえながら、バンザイ岬の崖に立って

弔いの詩をうたっている。

 

これは、名古屋鉄道の社長、会長をされていた竹田 弘太郎氏が詠まれたものです。

サイパンに名鉄グランドホテルがあった頃に名鉄からの出向の皆様に良く会長のお話を

伺っていました。

会長の目の黒いうちは本館の取り壊しは出来ない!とか、レストランで使っているお皿は全て

会長がデザインされた物だとか、、、。

竹田氏は名鉄グループの社員さんにとって雲の上の存在だったようです。

名鉄グランドホテルは今のサイパングランドホテルですがオーナーは変わっています。

当時(といっても10年前くらい?)名鉄グループはテニアンに名鉄フレミングホテルと名鉄ストアー。

サイパンには名鉄グランドホテルと名鉄スーパーマーケットを持っていました。

名鉄系の人たちは本当に皆様実直で誠実な方ばかりでした(たまたまかもしれないが、、)

そういえば今、サイパンで人気のJバー&グリル!ここのオーナーは確か偉大なる竹田会長の孫だったはず!

(T君ゴメン、ばらしてしまった) 

サイパンの花

左からレッドジンジャー、プルメリア、タヒチアンチェリーです。

南国の花って力強いのが多いけれどこのタヒチアンチェリーは可憐な感じですね。

最近雨が多いのであちこちで花を咲かせています。

 

活気丹

お客様に頂きました。

「もの凄く疲れたときに一つ食べるんや!元気出るでェ~!」

韓国の免税店で購入されたそうです。

何やら、、怪しげ? で、早速インターネットで調べてみました。

正式名称は【正官庄 活気丹】

含有成分は、6年根紅参濃縮粉末 20.3%
        山茱萸(サンシュユ)抽出粉末、蜂蜜、

        陳皮(チンピ)抽出粉末、植物性分混合
        エキス、ビタミン混合粉末など

 

なんかチャングムの誓いにでて来そうな、、、。

そして肝心な効能です。

 栄養機能情報 免疫力増進, 気力回復,  滋養強壮, 疲労回復, 血流改善, 記憶力増進

お~!なんか凄い、スゴすぎる、ますます怪しい!!!

 

とりあえずたった今、PAU2オフィスに立ち寄られたFホテルの北○さんに一つ食べて見てもらいました。

明日感想きいてみます。 

 

*感想聞きました 

 どうって事無かったよ、普通に酒飲んで2件行って00時頃にはいつもどおり眠くなって家へ帰って寝た。

と、言うことだそうです。 (何だつまんない)次は誰に食べてもらおうかな、、誰か来ないっかなぁ~。

パシフィックビーナスがやってきた

5月5日こどもの日にパシフィックビーナスがサイパンに寄港しました。

8時間くらいのサイパン滞在ですが、もう何ヶ月も前からお迎えの準備で大童です。

バスは何台?ガイドは? 港への立ち入り許可証取得やらドライバーガイドのお弁当手配等など。

Kちゃん、Yちゃんお疲れ様でした。

そしていよいよ来ましたきました。。。。おっきいお船だねぇ~。

 

大忙しながらも楽しい楽しい1日はあっと言うもに終わってしまいました。

パシフィックビーナス号は日本に向かって行ってしまいました。

何時もながらお見送りしながらフット思う事は開拓移民団でこの島に来た人々も

こうやって見送られて島を離れて行ったんだろうな、、、、。  

そしてそして何時もながら助っ人のみなさま有難うございました。

皆様のお力添えで今回も無事にお仕事完了です。 

太平洋の奇跡

映画:太平洋の奇跡が上映されてから、戦争と言う史実を自らの目で確かめようとする人々が

増えたのではないかと感じます。「人は忘れてしまうと又同じ過ちを繰り返す」と諸先輩から教わってきました。

又、自らテニアン島という激戦地で海軍兵士として戦い、戦陣の日々の著者でもある金谷安夫氏との約束。

67年前、この島でたくさんの日本人、朝鮮人、アメリカ人、チャモロ人、カナカ人が無くさなくても良いその命を

戦争により奪われた事。 そして後には悲しみと憎しみ以外の何物も残らなかった事。

これらの事実を風化させること無く後世に繋げていく。 

考えると無性に悲しくなるし、めちゃくちゃ怒りも覚えるし、と、まぁそんな想いで慰霊巡拝コースにお客様を

ご案内しています。

風化させない、後世へ語り継ぐという意味でも太平洋の奇跡と言う映画はもの凄く意味のある作品だと思いました。

日本の戦争映画はほぼ部隊全滅「そして誰もいなくなった」みたいなのが多かった中、この映画は救われる。

生きて日本に帰ろう!。。。。。

 

サイパンのジャングルに今だ残る戦争のつめ跡

ジャングルに散らばっている薬品の瓶

不発弾

不発弾のようです。

地獄谷にあったのですが、この不発弾はかなり前から

この場所にありました。と、言うのはながい間、枯れて4分の1くらいに

縦に裂かれた椰子の実だと思っていたのです。

 

ところが何気にじーっと見ていたら、、椰子の実とも違うような、、。

枯れ草に被われていたのでちょっと草を払ってみました。

そしたら少し土にも埋もれていたので掘り出してみました。

 

持った瞬間 ”重い” 爆弾だった。

たぶん不発弾です。

サイパンにはまだまだたくさんの不発弾があると聞いていましたが

こんなにあっちこっちにあるとは! 

誰かがここでBBQでもしたら爆発しちゃうかもしれないんですよ。

66年前の爆弾で死んじゃうかもしれないんです。

戦争とは言え子孫に残す地球の事は考えなきゃいけないですよ。

ね! そう思いません?

7歳の少女 慰霊巡拝全行程を巡りました ホント良く頑張りました!

朝、ホテルへ慰霊コースご参加のお客様をお迎えに行きました。

10分くらい早くついたので時間まで車の中で待つ事にしました。

ちょうどそこへ3名のお客様がいらしたのですが、違う、この方々ではない!

と思い込んでおりましたらパウパウさん?と声をかけていただきました。

ハイッ! アラ、(オロオロ) 松○様ですか?おはようございます。 等と少し慌てふためきました。

何で慌てたかといいますと、おしゃれで綺麗な奥様ともの凄くかわいいお嬢様でとてもとても

慰霊コースでジャングルを泥まみれになって歩き回る方々のようには見えなかったのです。

でも、、人は見かけじゃないのね。 岩に這いついたり、ロープ頼りに上ったり降りたり。

朝09:20から夕方18:00過ぎまでの強行軍です。

本当に良く頑張りました。

 

地獄谷の頂上まで上った方の最年少記録7歳、しかも女の子だよ! すごいことだ。

彼女は将来大物になる。

P.S

 パパも頑張ってました。 いいですねこの皆さんの笑顔。

 お写真はお客様にOKもらって載せていますのでご安心ください。

 左端はドライバー兼ガイド&ロープ、道確保担当の相棒ロッドです。

 

昭和の薬

 

 

 

ドンニーの野戦病院跡地へと続く山道の中に

落ちていた瓶です。

良く見ると【クレオソート丸】と書かれた文字が読み取れます。

第二次世界大戦当時からここにあったのでしょう。

 

この場所は第二次世界大戦時

日本陸軍の野戦病院があった場所なので

当時使われていたと思われる薬品の瓶が

いくつも落ちています。

 

クレオソート丸は征露丸⇒正露丸に進化して

現在に至るようです。

 

 

 

マッピ山、スーサイドクリフの崖

キャピタルヒルに出来たチャモロ&カロリニアンカルチャーセンター

チャモロ&カロリニアンカルチャーセンターと言うのがオープンしたと新聞に出ていたので早速行ってみましたが、

まだ完全オープンには至っていませんでした。

庭に古代チャモロの住居が作られていました。古代人の縄結びの技術もそのまま伝承しているそうです。

他にはビーズ手芸のデモンストレーションも行っていましたが完全オープンはまだ先のようです。

タガ遺跡(ラッテストーン)なども作るのでしょうか? 完成が楽しみです。

場所はサイパン島キャピタルヒルのタポチョ山へ行く途中にあります。

 

ベストショットを撮らせてくれない! 写真イヤなのかなぁ?

我が家のレオちゃんです。

なんだかなぁ、私寝不足なんです。

レオちゃんは夜中の1時位にクゥ~ン、クウーンとなくんですね。

おしっこさせろや!と言うことで庭に連れて行きます。 

かれこれ19年前ですが、3時間毎の赤ちゃんミルクタイムと言うのを思い出しました。

あの頃も毎日眠かった。

火炎樹も咲き始めサイパン花盛り

久し振りに洞窟

上の3枚はカラベラ洞窟 真ん中の写真にある丸い玉はオーブと呼ばれるものなのでしょうか

下の6枚はドンニーです、わかりますか?手榴弾と残された片方の靴。

4月ですね

被災された皆様

心よりお見舞い申し上げます。

 

あまりの驚きにホームページの更新が全く出来ませんでした。

何を言っても、何を書いても空々しいような気がしたり、

今、サイパンに暮らす我々にできる事は何だろう、等々。

我ながら実に情けない、今もまだ言葉が見つからない。

 

私は日本と言う国、自分の祖国を過信していたのだろうか。

日本だったら絶対に何とかする。

原発だってそのうち鎮火する。

そう思っていたのです。 が、、しかし。

 

義援金だって、、手のつけられる地域からお金を使って復旧させていけばいいのに、、。

被害が全て判明するまでお金は振り分けられない等という話を聞くと

何で?。。と思う。 原発に影響されず人が入れるところから随時復旧させていくと

不公平になるとでも思っているのかな?。。日本のニュースが全部見られるわけじゃないので

こちらに居ては解らないことが多々あります。

義援金を使っての復旧はもう始まってるよ!、、と言うことであれば良いのですが。

目処も立たず、この先どうなるのかも解らないと言うのは本当に辛い事です。

数年前に台風で自分の家がすっ飛んだ事があって、その時の状況が目の前に浮かびました。

たった一軒の小さな家なのに、、大変だったです。

だからお気持ち察します。