思うところあって【虚偽と邪悪】について考えてみた。
インターネットで検索していたら1冊の本を紹介するページと出会った。
【平気でうそをつくひとたち ー 虚偽と邪悪の心理学】
この本を紹介している人のホームページから興味を持った部分を
抜粋してみた。
邪悪な人間は、自分の欠陥を認めることを拒否し、
自分自身の邪悪性を他人に投影しようとする。
邪悪な人間は、長期にわたってその影響下に置かれている人間を汚染し、
または破滅させる。
邪悪な人間が自分から進んで心理療法の患者と
なることはほぼ皆無と言える。
邪悪な人間は、自分の心に光を当てられることを
なんとしても避けようとする。
邪悪な人間は、自分自身を照らし出す光や
自分の良心の声から永遠に逃れ続けようとする。
邪悪な人たちの中核的な欠陥が、罪悪そのものにではなく、
自分の罪悪を認めることを拒否する。
邪悪な人間は、自分自身の罪悪感に耐えることを
絶対的に拒否する。
邪悪な人間は、他人をスケープゴートにする。
つまり、他人に罪を転嫁する。
自己像を守るために他人を犠牲にする。
邪悪な人間は、自分には欠点がないと深く信じてこんでいるために、
自分の悪を否定するために他人を悪とみなして
自分の悪を世の中(他人)に投影する。
邪悪な人間は、自責の念、自分の罪、不当性、欠陥に対する
苦痛を伴った認識に苦しむことを拒否し、
投影や罪の転嫁によって自分の苦痛を他人に負わせる。
邪悪な人間は、自分自身の弱さや欠陥を認めることができないので、
外見を装う。
自分が絶えず物事を支配しているかのように、自分自身に対して装う。
邪悪な人間は、完全性という自己像を守ることに熱中し、
道徳的清廉性という外見を維持しようと絶えず務める。
邪悪な人間は、社会的規範というものに対して、
他人が自分をどう思うかということに鋭い感覚を持っている。
邪悪な人間は、自分自身の罪悪や不完全性から逃れようと
必死の努力をし、自分の邪悪性の証拠となるものを消し去ることに、
絶えず専念する。
邪悪な人間は、ご立派な対面や世間体を獲得し維持するために
人並み以上に努力する。
地位や威信を得るためであれば、大きな困難にも甘んじ、
熱意をもって困難に取り組むことすらある。
邪悪な人間は、見せかけの姿が破れ、世間や自分自身に
自分がさらけ出されるのを恐れている。
邪悪な人間は、自分自身の邪悪性に面と向かうことを恐れる。
邪悪な人間は、つねに自分たちの動機をうそで覆う。
邪悪な人間が選ぶ見せかけの態度に最も共通して見られることは、
愛を装うことである。
邪悪な人間が自分の力を乱用する相手は自分よりも弱い人間であり、
何らかの支配力を持っている。
・邪悪性とは、自分自身の病める自我の統合性を防衛し保持するために、
他人の精神的成長を破壊する力を振るうことである。
・邪悪性とは、罪の意識の欠如から生じるものではなく、罪の意識から逃れようという気持ちから生じる。
上記を読んでいると、自分も邪悪な人間だったんだなぁ~と
なにか切なくなってきます。
そう思いながら読み進んでいくとこの一説で救われた気がしました。
自分自身が邪悪な人とならないためにはどうすればよいのか。
それは自己批判の姿勢を絶えず維持しつづけることである。
自分は何をしようとしたのか、何をしたのか、それは正しいことなのか、
どの方向に進むべきかを自分で常に考えて決めることである。
自分に怠惰はないか、ナルシシズムはないかと自省して浄化させることである。
この過程において、自分に過ちがあったと正面から受け止める必要があり、
それは苦痛を伴うことかも知れないが、それは飛躍のきっかけでもある。
だから何!って言うわけではないのですが、
ここ数年、(自分達で会社を運営するようになってから)
今まで見えなかったもの、しかも悪い物が普通に自分の周りに
漂っていてその中に入るのはいとも簡単だ。と言う事が見え始めました。
今まで見えなかった悪い物、言ううならば
虚偽、虚言、虚栄心、支配欲、物・金欲、ねたみ、恨み、復讐心、、、、
これらが渦巻く邪悪な世界に集う人々が時折自分を呼び寄せる。
さぁこっちへ来いと、、、。
だからと言って苦悩する必要など無い、たぶん誰も呼んじゃぁいない!
全て自分の心の問題だ。
そういうものが見えるようになっただけ成長したんだなぁ~と
ここは自分のことでも褒めて、さらっと見送ることとするかネ!
君子危うきに近寄らず、、、昔の人はホントに良い事言ったもんです。
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