フィエスタリゾート&スパホテルの正面左側に
【浄土宗 多宝寺南洋寺】と書かれた石碑が
あるのを御存知ですか?
この石碑は南洋寺と言うお寺の門柱だったものです。
もう片方は戦争の時爆撃で吹き飛ばされてしまったと
思われます。
そうなんです、その昔日本統治時代にお寺があったのです。
このお寺を建立されたのは【青柳貴孝氏】東京は文京区、
潮泉寺の御住職だった方です。
昭和7年、浄土宗の管長より南洋群島開教の命を受け
この地に南洋寺を建てられ、その後ロタ、ポナペ、ヤップに
も開教を広めました。
と、同時にサイパン家政女学校の設立をもなされました。
当時の南洋庁はサトウキビ労働者の子女や島民に
高等教育はいらない、と言う考え方をしていたようで
女学校設立にはさぞやご苦労されたことと推察します。
そして、苦労の結果ようやく開校すると、予想外の人数が
入学を希望されたそうです。
その校舎はフィエスタリゾートの中庭あたりにあったようです。
*このあたりでしょうか【写真】
当初の入学生は48人、職員は8人だったそうです。
そして昭和17年、マタンシャ(今のサンロケとタナパグの中間くらい)から
自転車で通学をしていた一人の女学生。
佐藤多津さんと言う方がいらっしゃいました。
この方の手記から
昭和17年4月、サイパン高等女学校に入学し、
女学校のあるガラパン町まで自転車通学をすることになりました。
同じマタンシャ小学校出身の先輩方との集団通学でした。
佐藤さん一家はその後しばらくしてお父様のお仕事の関係で
チャランカに引っ越したそうです。
チャランカからはバス通学となり、同級生やら先輩などと
毎朝仲良く学校へ通っていた様子が伺えます。
フィエスタリゾートの端っこのほう、
南洋寺跡地に子育て地蔵尊が祀られています。
このお地蔵様は2代目だそうです。
埼玉県川越市にある【蓮馨寺/れんけいじ】の久米原達丈住職が
再建されたものです。
日本統治時代の南洋寺第一世、青柳貫孝師が
南洋寺の跡地に地蔵尊をと言う強い願いがあり、
当時同師と付き合いのあった蓮馨寺が戦争犠牲の
子供達の慰霊と平和祈願並び、浄土宗の海外布教の
遺跡を顕彰しようと昭和52年(1977年)に建立。
しかし、これらが破壊されていることがわかり
再建立され、1990年10月久米原住職によって
開眼供養が営まれました。
サイパン高等女学校が創立されたのは昭和10年です。
昭和19年、サイパン玉砕の日までにたくさんの生徒さんが
巣立って行った事でしょう。
スーサイドクリフには
サイパン高等女学校の碑が建てられています。
高等女学校の生徒や先生方もかの戦争で
多くの貴い命を亡くしています。
まこちん (木曜日, 12 8月 2010 21:21)
はじめまして、まこちんと申します。
私の母は、ここの最期の入学生(九期生)だったようです。
サイパンパウパウツアーズ (木曜日, 12 8月 2010 22:20)
まこちん様
コメント有難うございます。
お母様がサイパン高等女学校の生徒さんだったのですか。
今、女学校の跡地はフィエスタリゾートというホテルが建っています。
戦中の思い出したくない事も沢山あるかとも存じますが、今はとても
平和な島です。是非お母様と一緒にお訪ね下さい。
お待ち申し上げております。
Archibald (日曜日, 22 7月 2012 05:30)
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