昭和20年終戦の日、サイパンの捕虜収容所では、、。
今日は終戦記念日ですね。
終戦記念日というより【敗戦の日】なんですよね。
昭和29年8月15日、このサイパン島で戦火を逃れた人々は
どんな思いでこの知らせを聞いたことでしょうか。
菅野静子さん(ドンニーの野戦病院で活躍された方)はススペの捕虜収容所の中で
この放送を聴かれたそうです。
8月15日、天皇陛下のおことばが放送されるといわれ、私は夫とともに
キャンプ前の広場へ行った。収容所の人たちがすでに大勢集まり、
何なんだろう?と言う顔をしてお互いに何かを話し合っている。
正午、スピーカーが鳴りだした。
私は自然と頭が下がった。 しかし、ただガーガーと言う雑音が酷くて
お言葉はよく聞き取れなかった。
お言葉はわからなかったけれど無性に涙がでた。
-----ああ、祖国日本は崩壊したーーーー。
悲痛極まりない気持ちであった。
そして、篠塚吉太郎さん(サイパン最後の記録の著者)もこの玉砕地
サイパンで終戦を迎えました。
8月15にちの夜中にいきなり、サイレンが鳴り高射砲が一斉に打ち上げられた。
時が時だけに、それっ日本軍の空襲だ、いよいよ待望の日が来たのだ、と
人々はわきたった。表に飛び出すものもかなりあった。
不安と希望とが交差した一夜が明けた。
上空には期待していた日本の飛行機は一機も現れなかった。
翌日情報部のK少尉がやって来た。 そして。。
「戦争は終わりました、もう君達とは仲の良いお友達になれるでしょう。おめでとう」
と、言ってにこにこしながら握手を求めてきた。
私は唖然としてしまった。直ちに信じることはできなかった。
その翌日天皇のいわゆる【玉音放送】の録音がサイパン放送局から
ながされたのである。
それでもまだ、人々の中にはあの玉音放送はアメリカが仕組んだやらせに違いない
日本が負けるわけが無い、、友軍が必ず助けにやって来る。と、そう信じ続けて
疑わなかった人たちもいたそうです。
戦争が終わったと言うことを認められない、信じられなかった人々はそれから又
何年もの間ジャングルの中を逃げ続け隠れながら暮らしたそうです。
アナタハンの女王といわれる比嘉和子さん、彼女と共に島で何年も暮らした皆さん。
彼らもまた、終戦を信じることが出来なかったから、、、、。
そういう思いをした日本人の方があちらこちらにいたんでしょうね。
戦争反対!
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