金谷安夫氏著の『戦陣の日々』
ようやく写し終えました。 パート1からパート10(最終章)まで、
金谷氏の果てしない戦いの日々がよみがえってまいりました。
まるで自分が戦地に居たような錯覚を起こしました。
戦争は悲しいね、兵隊さんも悲しいし、、、、。
お国のために立派に死んで来いと本気で送った父・母達は
さぞやさぞや悲しかったに違いない。
あの戦争ではいったい誰が特をしたんだろうね。
金谷氏の記録をパウパウブログに書き写している間、
毎晩夢を見ていました。
気が付くとそこは戦場で、でも爆弾の音や弾の音は何も聞えない。
かといってシーンとしているわけではない、、。
明らかにそこは戦場。
サトウキビ畑の中に隠れている自分、隠れながら空を見上げると
B-29が飛んでいる。
音はしない、、飛行機雲だけがなが~く尾を引いているのが見えるだけ。
でもあれはB29だと知っている自分がそれを見上げている。
ある日は洞穴の中にいて、隣の壕が火炎放射器で焼き払われている。
いよいよここもおしまいか!と思った瞬間に自分は飛行機を操縦している。
マリアナの七面鳥撃ちと言われたあの光景に似ている。
でも、なぜかそれを遠くから見ている。
そんな夢が毎晩続きました。
今日ようやく全てを写し終えたので、今夜も又同じような夢を見るのかどうか
わかりません。
金谷氏と約束したんです。
サイパン島に住んでいる日本人として、金谷さんたち皆様のご苦労を決して
風化させず必ず語りついで行きます、、、と。
金谷安夫 (金曜日, 19 11月 2010 20:07)
私の拙い本を宣伝していただき誠に有難う御座いました。
『戦争は悲しいね、兵隊さんも悲しいし・・・・』その次の
『お国のために立派に死んで来いと本気で送った父・母達は ・・』
私が出征するとき、身内のもので『死んで来い』といったのは
誰一人居ませんでした。親戚の者も友人も。しかし駅前に並んで
見送ってもらうときは、
『死んで帰れと励まされ。死んだら母は褒めてやる』との歌で
いっぱいでした。
また出征時に、父にバリカンで髪を刈ってもらいながら
『この髪を少し取っといたら』と言った時 父は『その必要もなかろう』と言いました。と言う事は髪の毛を取っておくということは『私が死ぬ』ということで父としては、そうしようと言えないことで、私が黙った紙に包み神棚に置いておくのが本当だったと、今現在考えています。
サイパンパウパウツアーズ (土曜日, 20 11月 2010 18:43)
金谷様
コメント有難うございます。
映画などではよく「お国の為に立派に死んで来い」などと
言う言葉を聞きますが、実際にはそんな事、言えないですよね。
金谷様のお父上が髪を「取っておく必要も無かろう」と
おっしゃられた心中。
又、黙って包んだ髪を神棚において出征すればよかったという
金谷様の心中。
如何ばかりだったのかと、、。言葉になりません。
「死んで帰れと励ます、死んだら母はほめてやる」
そんな歌が存在したこと自体、当時のニッポンと言う国に
怒りと不信感を覚えました。
人の命を何だと思っていたのでしょうか。
皇軍とはそういうものだったのでしょうか。
反論すれば非国民!
権力を持つ人々と言うのは狂おうと思えば幾らでも狂えるのか!
現在の日本国政府にも多々言えることのような、、怒りも感じます。
すみません若輩者の私がこんな事を申しまして、、お許し下さい。