ハッピー ハローウィン
もうすぐ10月31日ハロウィンです。
地元の子供たちが仮装して「トリック or トリート」と言いながらキャンディーなどをもらいに来ます。
この日は毎年、パウパウツアーのオフィスにもたくさんの子供たちが訪ねてきます。
オフィスの飾りつけOK! お菓子OK !
ハロウィン
もともとはケルト人の収穫祭、悪魔祓いなどの為の行事だったようです。
今ではキリスト教年間行事の一つとして広く親しまれていますが本来のカトリック教会の行事ではないので
プロテスタント等いくつかの福音派では行わないそうです。
サイパン島も福音派系の学校では子供たちの仮装やキャンディー集めを許していません。
お菓子入れ
当日はこのツボにお菓子をたくさん入れて子供たちを待ちます。
フィエスタリゾートホテルバー入り口のデコレーション
迫力あります!
フィエスタリゾートフロントデスクのデコレーション
台風一過 19号 2014年10月06日
昨晩(10月05日~06日未明)は雨風が吹き荒れ、
庭のマンゴーの木が一晩中ゴーゴーと音を立てていました。
これは本格的な台風になるだろうと懐中電灯やろうそくを用意しようかなぁ~、
と思った瞬間に停電しました。
あぁぁ~、、、真っ暗闇!
そして一夜明け、さて観光ルートの道路事情はどうなっているのか心配になったので一回りしてきました。
バナナがあちこち倒れていました。
でも道路はふさがっていないのでOKです。
モンキーポッドの木が倒れていました。
この道を通らないとスーサイドにも、バードアイランドにも、グロットにも行かれません。
明日の観光バスが通れないので今から車で引っ張りに行こうと思う。
そんな電話が某大手旅行会社の方からありました。
無理! 無理無理無理! と言ったのにお出かけになられたようです。
○永さん!この木を人力で動かすのは無理です、、、。
サンタルーデイス (マリアの祠)では入り口の大きな木が倒れていました。
グロットは本日、立入、遊泳共に禁止でした。
展望台からはご覧いただけます。
10月3日 新しい台風が又生れています
コスラエ、ポナペ付近で熱帯低気圧が発生しました。
4日には台風になりそうです。 この路線のまま真っ直ぐ進んで来たら今度こそサイパン島に直撃しそうです。
、
9月29日 また台風が発生
熱帯低気圧
9月29日 9時現在
トラツクシヨトウキンカイ
北緯12.7゜東経152.3゜
西北西 15 km/h
中心気圧 1002 hPa
最大風速 15 m/s
最大瞬間風速 23 m/s
予報30日 9時
台風
マリアナシヨトウ
北緯14.5゜東経148.9゜ 西北西 15 km/h
中心気圧 998 hPa
最大風速 18 m/s
最大瞬間風速 25 m/s
予報円の半径 220 km
なかなか地面が乾きません
9月初旬に遺骨調査作業行った現場です。
作業最終日に大雨になり埋戻しが中断してしまいました。 重機のオペレーターは3日間くらい晴天が続かないと
重機での埋戻しは出来ないと言う事でじっと、じっと乾くのを待っています。
が、しかし乾く間もなくトロピカルストームが発生し更なる大雨が降りました。
島中あっちこっち雨水が溢れています。
作業現場も更にすさまじい事になってしまいました。
当分乾きそうになうので、泥水が溢れだして海に流れ込まないように昨日シルトフェンスという物で囲いをしました。
早く晴れて乾いてくれなかなぁ~。
アリさん やすらかに
パウパウツアーズ名物ガイドとして皆様に親しまれていた西村有光(ありさん)が9月18日に他界しました。
葬儀は9月26日(金)午前10:00 マウントカーメル教会にて行われます
パウパウオフィス内にて
アリさんこのユニフォームとても似合ってました。
八幡神社でガイド中のアリさん
お客様(○ま○まさん)から頂いた写真
皆様、アリさんのお写真がありましたらご提供願えませんでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
70年ぶりのお日様
戦時中のものです。
水筒、銃弾、手榴弾、爆弾、銃剣や薬の瓶等々、日本兵のものだけではなくアメリカ兵の持ち物もここには沢山ありました。 そして1柱の遺骨。
今回は取り出し許可が出ていないのでお遺骨は確認後埋戻しです。
誠に無念!
必ず掘り出して祖国にお返しすると誓った気持ちはメンバー皆一緒です。
サイパン島 軽便鉄道
サイパン島アチュガオ地区を掘削していたところ日本統治時代の軽便鉄道線路が出てきました。
70年間地中に埋もれていた線路です。 でもこの線路たぶん二度と日の目を見ることは無いでしょう。
作業後すべて埋め戻しましたので又土中に潜ってしまいました。
線路のそばからヘルメットが出てきました。
でも残念ながらここからお遺骨は発見できていません。
壊さないように、壊さないように大事に掘り出しました。
そして、たくさんの爆弾や銃弾も埋まっていました。
日本でこんなのが一個でも出てきたら大騒ぎなんだろうな。
サイパンのキノコ
これは「キヌガサダケ」というそうです。
フェースブック友達が教えてくれました。 珍しいキノコだそうです、しかも食べられるって!
いやぁ~、、食べたくないです。 見つけたのはサイパン島タナパグの湿地帯です。
こちらのキノコの名前はまだわかりません。
黄金色をしたビロード地のスカートをはいているようなキノコでした。
見つけたのはサイパン島ナフタンのジャングルの中です。
久しぶりの洞窟探検
今回は申請している遺骨調査許可証取得に手間取り予定通りに調査が出来ませんでした。
ただ待っているのも辛いので洞窟へ行く事にしました。
久しぶりの洞窟です!
広くて真っ暗な洞窟なのでしばしば方向を見失ってしまいます。
私の目印はこのビール瓶。 ここまでくれば出口は近い。
このビール瓶は戦前日本から運ばれてきたものです。
とても頼りになるリーダーですが、彼とてこの洞窟では惑わされてしまいます。
ほらほら、またたくさんのオーブ達が彼を呼んでいる。
でも、、私は惑わされないわよぉ~。
オーブ(白い玉)がどんどん増えてきました。
ドラゴンケーブ
この洞窟は感動的なんですが帰りがキツイ!
ナフタン岬
2014年度 パウパウアイランドブックが出来ました
マリアナ諸島の手作り作品
フィエスタリゾートのロビーでマリアナ諸島の手作り作品が展示販売されています。
貝やサンゴで作ったネックレス、ピアス等のアクセサリーからお決まりのココナッツブラ。
この籠はパンダナスの葉を編んだものです。
サイパンは湿気が多いので革はお手入れをしないとかびちゃいますが、このパンダナス製ならOKです。
それにしても器用に編みますよね。
こちらの籠は新聞紙で作られています。
作品の数々です。
3月いっぱいはフィエスタで展示即売会を行っているそうです。
お値段はピアスで3ドル位~、籠はパンダナス製が10ドル~、新聞紙製で2ドル~です。
時間: 朝9時~夕方4時位までです。
チャチャの小学校跡地探し
日本統治時代チャチャ(現カグマン)にあった小学校の跡地を探しています。
前回、ここいら辺りと言われている所を歩いてみましたが時間切れで十分探しきることができませんでした。
今回は隈なく探索出来ました。
道路はふさがれているので倒されている木を乗り越えて! ヨイショっと。
階段の跡が残っていました。
が、何の階段だったかはわかりません。 国旗掲揚台? 演台? 表彰台?
コンクリートが壊された跡がありました。 もとは水タンク? わかりません。
側に大きなマンゴーの木があります。 戦前からあった木だと思われます。
ここいらにはカマチリの木も沢山あると聞いて来たのですがどれがカマチリなのかわかりませんでした。
ジャングルの更に奥の方にコンクリートの建物があったので入ってみました。
廃墟となった養鶏所でした。 このコンクリートの建物はもしかして旧校舎の跡かと思い調べてみたのですが
ブロックが使われているので戦後のもののようです。
コンクリート製の日本家屋が残っていました。
ここも廃墟でした。
ブッシュから出てきたらきれいな花が咲いていました。
花の名前はわかりません。
道に出てきました。 ホッ (汗)
車道へ出る前に目印を探したらちょうどいいのがありました。
次回はこの竹林を目印にします。
やっと大通りに出てきましたが、ここはいったいどこ。
私の車はどこ? 入った場所から随分離れた所に出てきてしまいましたが出て来られたのでOKです。
結局車を止めた場所まで徒歩10分かかりました。
別の入口を探してウロウロしていたらこんな看板を見つけました。
しっかり鍵がかかっていて中には入れません。
HPO(歴史保存局)に電話で聞いたら今は草刈してないから閉めてあるけど掃除したらまた開ける。
との事でした。 中にはラッテストーンなど古代チャモロに関する遺跡などもあるそうです。
早く草刈りすればいいのに、、、、。
マッピ山の崖
久しぶりの洞窟調査です。
ここはマッピの崖上洞窟。 グーグルで測ったらだいたい標高180メートルくらいでした。
こんな足場の悪い崖上の洞窟にも遺骨がありました。
9歳か10歳くらいの男子だったと思われる遺骨と歯が出ています。
そんな小さい子がこんなところまで登ってきて、しかも隠れていて、、しかも亡くなっている。
何とも言えない気分です。
千人洞窟
サイパン島北部カラベラと呼ばれる地域にある洞窟です。
千人もの人が入れる程大きな洞窟なので、日本統治時代は千人洞窟と呼ばれていました。
大きくて深い洞窟です。中に入ると小部屋のように分かれている場所がいくつもありました。
第2次世界大戦中はたくさんの人がこの洞窟に隠れていたそうです。
生き残った方の手記によると、米軍の爆弾が入口近くに落とされた為、壕の入口付近にいた人々は
皆爆弾にやられてしまった、が、奥の方にいた人たちは無事だった。まさに生死の境目を目の当たりにした。
そう書かれていました。
洞窟の中にあった遺品です。
御遺骨もありました。
菊の文様が入った日本国の硬貨です。
十銭という文字、日本国、昭和15年というのが読み取れます。
洞窟入口と反対側にタロ芋の畠がありました。
畠の中から遺骨が出ています。
この場所は2年前に3柱の遺骨を掘り出した場所です。
我々が然るべきところに届けても何も期待できないので地主さんにお任せしました。
地主さんが然るべきところに届けて然るべき人が受け取りに来るまで丁重に保管してくれるそうです。
無力ですが何とか祖国に帰れるように働きかけてはいます。
でも、、何年かかる事やら。
同行したJYMAの青年が神学を学んでいます、彼が心を込めてご祈祷してくれました。
カラベラ神社跡 発見
念願だったカラベラ神社跡を見つけることができました。
だがしかし、、すべて破壊されていて残っているのは階段くらいしかありませんでした。
ジャングルの中を歩いて行くと、下草のほとんどない少し開けた場所に出ます。
見渡して最初に目に入ったのは ↓ です。
ここいらに鳥居があったと思われます。
文字の書かれたものが何か残っていないかと探してみました。
神社が建立されたのがいつかはわかりませんが昭和5年10月17日という記載がありました。
昭和5年は1930年ですから今から84年前にはもうこの神社はあったと言う事です。
石灯籠?
階段がありました。 上にもまだ階段がありそうです。
上ってきた階段の上に石垣がありました。
この上に又階段。 本殿はどこにあったんだろう。
この会談が最後のようです。本殿はどこ?
柵らしき跡が残っていました。 残念。
カラベラ神社敷地は大変広々としていました。
人がたくさん集まって盆踊りやお祭りなどがさぞ賑やかに行われていたのだろうと思いました。
縁日でお店が並ぶ様子まで思い浮かんできました。