今日のサイパン パート1 2011年3月まで

極楽谷

極楽谷と呼ばれる場所。

近くにせせらぎがあってわずかばかりのお水が確保できます。

でもそのお水も雨が降らなければ干上がってしまいます。

そんな僅かなお水があるだけで極楽谷と名付けられたそうです。

 

極楽谷と呼ばれる場所にはたくさんの洞窟があります。

そのたくさんの洞窟に怪我をした人々が身体を横たえて

痛みに耐えながら明日はどうなるのかと、、、。

第二次世界大戦の時、今から67年前の出来事です。 

 

極楽谷、千羽鶴や卒塔婆がありお参りされている洞窟もありますが

この写真の場所も極楽谷の洞窟です。

こちらの洞窟は誰もお参りをする人が居ないのです。

そんな場所がまだまだ沢山あるのです。 

 

3月10日は東京大空襲の日でしたね。

1945年(昭和20年)3月10日は東京大空襲の日でしたね。

今から66年前、サイパン島を飛び立ったB29は東京を焼け野原にし焼死者は10万人近くに

及んだそうです。 66年前の今日がその日です。 黙祷。 

 

洞窟

洞窟を発見しました!

たぶん相当長い年月誰も入った事が無いと思われます。

崖の少し上の方に小さな洞穴があり、その穴の中に入って周囲を見回したところ

小さな穴がが見つかりました。穴をのぞくと更に奥があってしかも天井も高そうです。

 

小さな穴から這うようにして中に入ったのはもちろんパウパウ一の冒険家ロッドです。

中へ入ったロッドは立ち上がって懐中電灯で回りを照らし岩が崩れないかどうか確認をしています。

その様子を小さな穴からジット見ていましたが実は私もけっこう洞窟好きの冒険好きなもので

入りたいなぁ~!と思っていたらロッドから「OK安全!」のゴーサインが出たので

皆で(お客様も一緒)穴の中へ入ってみました。 そこは7~8人位は入れそうな広い場所で、

鍾乳洞のツララの様な柱が何本か立っておりとても幻想的な景色です。

しかも、ゴミもなければ虫も居ない。。 誰かが掃除をしているのではないのかと思うほど

綺麗な場所でした。 しかし、、暑い!蒸し暑い。 なんか心なしか空気も薄くなってきたような、、。

と、言うことで今回の調査はここまでにしました。

 

外へでてしばらく歩いていると地主さんがいたのでロッドが地主さんと何やら話をしていました。

完全チャモロ語会話なので後で通訳してもらった所、、。

地主さんは小さな洞窟があるのは知っているが更にその奥にある洞窟の事は知らないそうです。

と、、言うことは67年くらい誰も入っていないって事?

洞窟の中にピンの抜いていない手榴弾が落ちていたけれど人骨らしき物はなかったし、

他の洞窟でよく見られる火炎放射器で焼かれた跡がここには無い。

なので戦争中この洞窟に居た人は助かったと考えて良いように思いますた。

遺骨が発見されていればたぶん手榴弾も一緒に運び出していますよね。

とは、、限らないのかなぁ~。

でも隠れていた人は助かったと思いたいです。

次回又調査したらご報告します。

写真は洞窟の内部です。

反省:(写真をアップしていて思いました、、人物立たせて撮らないと穴の大きさが分からない)

 

あれがタコ山

上の写真は今から24年前のサイパンガロライと言うところの写真です。

戦陣の日々の著者金谷氏から頂いたスライド写真です。

ここに写っている民家の裏山が、あの映画「太平洋の奇跡」の大場隊47名が下山してきた山だそうです。

先日さる神社の皆様がサイパンに慰霊の来られたさい、大場大尉が下山した場所をご案内しました。

その時のパートナーでありドライバーのロッドが、こっちだよ!と言って皆をどんどん奥まで案内してくれました。

そこはもう民家の庭で不法侵入になりゃしないの?と心配している私をよそに、奥に洞窟もあるから行ってみよう。

とロッドの案内で草木ををかき分け奥へ行き戻ってきてから「ロッドさん、ここよその家だよ大丈夫?」と聞くと

彼はあの人懐っこい笑顔でニコッと笑い「ここは自分のお父さんの土地だから、、、」 、、ってさぁ早く言ってよ。

 

そして今日オフィスでロッドに遺骨収集時の写真を見てもらい場所の確認をしていたら、、ですよ。

このスライドを見たロッドが「あれっ? この家って、、、自分の家だ」と言うではありませんか。

右側のガレージにいて手を振っているのは少年の頃のロッドだそうです。隣にいるのはおねえちゃんだって。

いやぁ~ロッドもびっくり、私もびっくり。

 

プルメリアの種

フィエスタリゾートの喫煙場所の側に

プルメリアの木があります。

まぁ、どちらかと言えば島中のあちこちに咲いているし

自分の家の庭にもあります。

が、、しかし。

プルメリアの種と言うのをはじめてみたように思います。

種だと言うのが分かったのはつい先程の事で、

それまでプルメリアの木を見上げては、、なんだろなぁ?

庭師の人が通ったら聞いてみようと思いつつ、

こういうときに限って庭師は現れず、、。

 

パウのKちゃんなんぞはここのガーデナーさんは接木をあっちこっちでしてるから

別の木を接木したものではないだろうか?そうかもねぇ~!。。。。。。。。等と訳のわからない会話もありました。

 

で、、試しにプルメリアの種で検索したらでてきたのです。そりゃそうですよね、、種! ありますよね。

でも始めて認識したのです。写真はこれっ。 枝の先の方でひらいているのが鞘。

種は羽根のような種で風でどこかに飛んでいってしまいました。

この木は何の木? この実は何のみ?

こんなに何年もこの島に住んでいて、

何で始めてみたような気がするのかが

不思議でならないのです。

 

毎日同じ道を通っていて、しかもこの木は

かなり大きな木で、、更に更に不思議な実の付き方を

しているのです。

 

なんていう名前なんだろう!

植物園も閉園してしまったので園長先生にも

聞けないし、、○根っちはよその島へ行ってしまったし、、。

 

ピートに聞いても分からない。

気になる気になる、、気になる木です。

オサゾウムシ

サイパン島日本統治時代はサトウキビの栽培、製糖事業が主産業でしたが、

実り始めたサトウキビに悪い虫が付き、南洋興発初代社長である松江春次氏は

大変なご苦労をされたようです。

南洋開拓拾年始と言う松江春次氏の著書にその苦労話が記されていました。

その虫はオサゾウムシ。(他の資料ではカイガラムシだったとも書かれていました)

このオサゾウムシはサトウキビの幹の中に入り込み食い荒らしたそうです。

この虫はもともとは椰子の害虫だったそうで太平洋諸島に広く分布していた模様です。

オサゾウムシは嘗て砂糖業界に大打撃を与えたケーンボァラーと言う害虫と全く同じ種類の

ものである、、、と言うことがわかった時松江氏は呆然となった。と、記されています。

オサゾウムシの天敵でタキニット・フライという蝿の一種を輸入してこの問題を解決されたようですが

この書物の中ではどこから輸入されたのかはかかれていませんでした。

 

他の文献で調べてみたらハワイから輸入したようです。

蝿を捕まえて船に乗せてサイパンまで連れてきた! と言うことですよね。

で、、このオサゾウムシが現在サイパンに生息しているのかどうか探してみる事にしました。

何か見つけたら又ご報告します、、と言うことで。。

 

知らなかった!

インターネットの記事を見ていて【知らなかった】と思った事

 

足元を見る、、、の語源

 昔、旅籠の人たちは旅人の履物を見て

 履物がもの凄く汚れていたりくたびれていると宿泊代を高くふっかけたとか、、。

 履物が傷んでいる人ほど長旅をしてきた人なのでちょっとくらい宿泊費を

 ふっかけても泊まったんだとか。

 なので、、足元を見る! と言う言葉が出来たんだって! 知らなかったです。

 

ネギトロのネギは葱じゃない!

 ネギとろのネギは骨についた身を取るという意味のねぐという動詞が

 変化してネギになったんだって。 だから葱のことじゃないんだとか。

 これも知らなかった。 ずっと葱だと思ってた。

 

インターネットを見ていて【ふぅーんなるほど】と思った事

 

電車の車内販売員さんのお話

 電車内でお弁当、飲み物、お土産などを販売する時に

 車内販売カートを進行方向に対し前向きに押して進むのではなく

 後ろ向きにカートがバックするように引っ張りながら販売するのだそうです。

 そうすると買いそびれたお客様とも目を合わせることができる為

 お客様が販売員に声をかけたり買いたいと言う意思表示がしやすくなり、

 販売員もそれを見逃す事がなくなったそうです。

 

 たしかに前向きでカートを押し進めると「あっ、行っちゃった」と言うときに

 背中に向かって声をかけることになります。

 そうするとまぁ、いいか!と、自分ならあきらめちゃうかもしれません。

 しかし、通り過ぎた後でも販売員さんと目が合えば声をかけやすい、、。

 

 と、言うことでこの販売員の方は全国車内販売売上NBR1なんだそうです。

 工夫と努力の賜物ですね。 素晴らしい人だ!、、と思いました。 

 

不可思議な事

サイパンのとある小学校の校長先生が今とても困っているようです。

困っている事をあまり公には出来ないんだそうで、いったい何に困っているのかと

聞いてみると、、。

校舎の一部で急激に不可思議現象が起きるようになったんだそうです。

開いていたドアが目の前でいきなりバタッと音を立てて力強くしまったり、、。

もちろんそこには出れもいないのだそうですよ。

先生が黒板に字を書きながら子供達に「静かにしなさい」と言って、子供達の方に

ふりむいたらみんなポカァ~ンとした顔をして。。誰もしゃべってないョ先生。

と言われたとか、、。

水道の蛇口からいきなり水が出てきたり、ラップ音がしたり、ポルターガイスト現象が

おこっているんだそうです。

これから現地の祈祷師やら牧師さんやらを呼んで静めてもらうんだとか、、。

何でも近くで工事が始まったとか、何かを壊したとか掘り返したとからしくその頃から

不可思議現象が始まったんだそうです。

いやぁ~、、、ロマンだ! (怒られそうだけど、古代へのロマンを感じました)

で、今どうなったかは聞いていないのですけどね。

誰も怪我もしていないし、病気にもなっていない、危害も加えられていないそうです。

だったら、、良いか! みたいな?

不可思議な事 もう少し、、

夜便でサイパンご到着のお客様を空港へお迎えに行ったある日の事。

これは、、パウパウのピートさんのお話です。

 

その日はパウパウの白いバンを運転していました。

マリアナカレッジの坂を登りきったあたりでふと車内のバックミラーに

目が行ったそうです。

すると車内の座席に人が座っていたんだそうです、、それは若い男性で

ラップソングを歌っている時のようなポーズだったとか、、。

それ以来ピートは夜スケジュールの時には白バンに乗らなくなりました。

ピンク色のバンしか乗らず、しかもカッレッジの坂のあたりから車内の

バックミラーをひっくり返してミラーが見えないようにしているんだって!

ホントに怖かったんだね、、きっと。

でも、車の問題なのかな?   疑問。

今のカッレッジはその昔サイパンの総合病院だったんですよ。

建物は病院時代のままでカッレッジ用に改装しただけ!

思い出すと、くらぁーい病院だったなぁ~。

 

4200万年前?

スペイン人がやってくる前のマリアナ諸島ではどんな暮らしをしていたのでしょう。

カヌーを操り海を渡り、石を切り出しラッテストーン(タガ遺跡)と呼ばれる遺跡を

残した人々の暮らしです。

マリアナ諸島の島々は昔むかしは全部海の底、火山の爆発で珊瑚が隆起して

出来たのだと教えられました。

初めてサイパン島に人々が暮らし始めたのは紀元前16世紀、今から3600年前位の事。

じゃぁ、珊瑚隆起して島になったのはいつ頃?

 

時々そんな事をパウパウのピートや周りのチャモロの人達に聞いてみる。

ピートの返事はいつも「知らないよ、だってオレはその頃まだ生まれてないもん!」

とか、言いながらもいろんな事を調べてきてくれます。

そして、、この本を買ってきてくれました。

「はい、、これね! スペイン人が来る前のことがこの本に全部書いてある」

と言って渡してくれたのがHISTRY OF THE MARIANA ISLAND TO PARTITION

これまた、、当然の事ながら全部英語だョ、、まずは絵だけ拾ってぱらぱらめくる。

日本語だったら1日で読み切るのになぁ~!と一人ぼやきながら読み始めました。

 

この本によると、マリアナ諸島が海底から顔を出したのは今から4200万年前くらいの事だと記載されています。

4200万年前に島が出来て、人が住み始めたのが3600年前くらい。。。と言うことは

その間、島はどんな風に姿を変えて行ったのでしょうね。

地球上に人類と呼ばれる生物が住みはじめたのは6万年前、、しかしその頃の人々はカヌーと言う

道具の作り方をまだ知らなかったので海を渡ることが無かった。

と、、この本には書かれています。

なんかとても面白いです。ワクワクします。

この続きは又読み進んだら書きます。

(松江春次氏の南洋開拓拾年誌もまだ読みきれていません。)

FOOD STAMP

サイパン島では第二次世界大戦後、配給と呼ばれる制度があって

バターやチーズ、パン、缶詰などの食品が配られたそうです。

 

今その制度はFOOD STAMPという制度に変わり金券が配布され

規定の食品だけが買えるようになっています。

このフードスタンプをもらうのには資格が要ります。

収入と家族の人数(お子様の人数)が査定の基準になっているようです。

中には給与の基準を上回るとFOOD STAMPがもらえなくなるので働く時間を

コントロールしている人もいると言うことです。 

 

昔、むかぁーしのある日の事。

給料日前でお金は無いがお腹が空いたもんで、ケチケチチマチマと

買い物をしていた時にカート山盛りのお買い物をしている人が

何やら金券らしきものをたくさん出して精算しているのを見て

あれは何だろう、、、。

サイパン島にはドル以外にも通貨があったんか?等と不思議に思った事がありました。

そしてあれからン十年を経て、かなりサイパンの諸事情に詳しくなりました。

 

単純に考えて、この島からポーカーゲームとFOOD STAMPが無くなったら

人々は変わるんじゃないかな!と思います。

他にはパウンショップ(質屋さんの事)、、、これもねぇ~いろいろ問題が起きる原因の

一つのように思えてならないのよ。

ポーカーと質屋は置いといて、、人々はこのFOOD STAMPについてどう思っているのかな?

若者達(高校生とか大学生)はFOOD STAMPをもらうのは恥ずかしい。

と言う考えを持っている人達が大半以上のようで個人的にはなるほどと、安心しました。

 

インターネットに中にCNMI:Tanapagというページがあります。

このページは昔のサイパンのことから現代に至るまでいろいろな事が書かれています。

この中でFood Stampに関するものがありました。

 

昔の人たちはジャングルを開墾しタロイモやバナナ、畑にはキャッサバやいろいろな野菜を

育て、牛、ヤギ等の家畜も育てていたそうです。

又、海に出て魚や貝を捕ったりし家族の生計を支えていたそうです。

ところがFOOD STAMPはもう畑を耕す必要も、家畜を育てる必要も無い。

みんな楽をして暮らせるんだよぉ~。 皆FOOD STAMPを申請しに行きましょう。

と言うようなことが 原文下記です ↓ 

"The influence of food stamps has really made an impact on people who farmed or tended their land," Ben states. "Now you don’t have to be a farmer. You can become lazy, go and apply for food stamps, and survive. In the olden days, there were no food stamps. People had to go out there and plant or go out there and fish. Today, there are quite a few people on food stamp programs here in this village."

 

 このFOOD STAMPは私達にとってあまり喜ぶべきものではない。とも書かれています。

昔は海に出たり畑に出たりして人々は働いた。 今、この制度があるから働く必要が無い。

昔のように働くべきだ! と、書かれています。

 

 そこである人がFOOD STAMPは決して悪いものではない。

本当に必要な人たちだけがこの制度を利用できるようにすれば良い。

例えば、旦那さんが死んでしまった、お母さんが一人で子供を育てているので働きにも出られない

そういう人たちを助ける様なプログラムにすれば良いが、時既に遅し! と言っている人がいます。

本当にそうすべきだと自分も思うんですよね。

 

今サイパンに必要なのは人々のやる気と産業だよね、、。

松江春次氏の本には昔チャモロの人々にはもっと気骨があった、スペイン植民地時代の

影響で人々が変わってしまったんだと言うようなことが記載されていました。

よく考えてみるとスペイン支配時代が終わってまだ111年しかたっていないんですね。

まだ!と言うべきか、、もう!と言うべきなのか。 

 

米軍兵士の落書き

 

サイパン日本刑務所跡の内壁に彫られている落書き?です。

1944年6月15日 J.A.Beiser サイパンに米軍が

上陸した日です。

Beiserさんと言う米軍兵士が記念に彫ったものなんでしょう。

 

日本刑務所跡へ来る度にこれを見て思う事は、この人は

いくつの時にこれをここに刻んだのだろうか?

生きて国へ帰れた人なんだろうか?

今、まだ生存されているのか?

そんなような事を思うんですね。

 

「太平洋の奇跡」大場隊の映画を見た後なので

余計に気になるのかもしれません。

みんな一致団結 

サイパンの港に又、大きなお船が着きました。

これは日本の飛鳥です。

同じユニフォームの人がたくさん歩いていますよね。

この人たちは今日の観光バスガイドさんたちです。

 

大きなお仕事が入ると1社だけではバスの台数も

ガイドの人数も全く足りないのでみんなでお手伝いします。

1月1日に入港したにっぽん丸の時もたくさんの人が

パウパウツアーズを助けてくれました。

写真に写っている人たちは皆さんそれぞれの

会社に所属しています、、きょうは総出でお手伝いです。

この中に本当は私もいるのですが、、

写真を撮ったのが自分だったので私は写っていないのです。

 

ネ!サイパンの旅行会社は一致団結! 

 

それにしても大きな船ですね、写真に入りきりませんでした。

お天気も良くて本当に良かったよかった!

木麻黄(モクマオウ)、、、って言うんだ!

サイパン島の海岸地帯には南洋松と呼ばれている樹木が

いたるところにあります。

島の人たちはパインツリーと呼んでいます。

ところがこの南洋松は松とは全く異なっているようで

正式な名前は【木麻黄/モクマオウ】と言うのだそうです。

 、、知らなかった。

 

何で知ったかと申しますと「サイパン特派員の見た玉砕の島」

と言う本に書かれていたのです。

昭和19年の3月頃に千葉県の木更津を飛び立ち

硫黄島に1泊してサイパン島に到着した報道員の方が

アスリート飛行場からチャランカノアへ移動されたとき

この島には南国特有の椰子の木が殆ど無い、

その代わり木麻黄があちらこちらにあった。

と記していました。

 

はて、、木麻黄とは何ぞやと思い調べてみたら

何と我々が南洋松と呼んでいる樹木の事だったのです。

 

この島には今でも南洋松、南洋杉、南洋桜と呼ばれている

樹木があります。

日本統治時代に開拓移民団としてサイパンに暮らした

日本の人々がそういう風に名前をつけて故郷日本を

偲んでいたのだろうなぁ~と一人感慨にふけっております。

 

ハッピーチャイニーズニューイヤー

今日2月3日はチャイニーズニューイヤーです。

恒例の獅子舞?が今年もやってきました。

 

JALPAKサイパン支店が撤退して、さてどうしよう!

♪私達これからどうするの♪ と言う状態になって

じゃあ皆で新しい会社始めようか!

そして、パウパウツアーズが発足し、フィエスタリゾートに

オフィスを開いたのが2005年の10月でした。

なので今年でもう6回この獅子舞を見たことになります。

 

しかし、今年は静かですねぇ。

恒例の爆竹があまり聞えません。

昨晩、ガラパンで花火が上がっていたくらいです。

花火、爆竹規制と言うのが出来たのでそのせいかもしれません。

映画「太平洋の奇跡」サイパン試写会へ行ってきました

先日、サイパンの映画館で「太平洋の奇跡」試写会が行われました。

原作と異なる所もあって、あれ?たしか赤ちゃんは二人だったような、、。

青野千恵子さんは亡くなったはず! 等とも思いましたが逆に後味が悪くなくて

良かったとも思いました。

俳優さんと監督さんのご挨拶と言うのもありまして、実際に近くで拝見すると

俳優さんと言うのは細い!のね。 もの凄くスマートでした。

一緒に見ていたN○AのTちゃんが、、ウエスト60センチ位しかないよねキット!

と、驚いていました。

 

本を読んでいたので映画はちょっと端折った感じがぬぐえず、なんか物足りない感も

あったんですよね。 何と言うのか一言で言うと全体的に綺麗すぎると言うか、、。

大場隊が山にこもった期間は昭和19年の7月~昭和20年の12月までと言うのは

本を読んでいる人なら知っていますが、映画しか見ていなかったらピンと来ないかも?

 

現地チャモロの人達は戦争映画なのにあまり血が出ないね、アメリカの戦争映画だったら

もう、血だらけなのに、、。とか言っていましたね。

戦中を行き抜いたチャモロの人達の多くは既に亡くなってしまっていて、ほんの少ししか

もういらっしゃらないのですが、自分達が隠れていた洞窟の事や当時の日本人の事を

お話してくれる方から時々お話を伺います。

日本人は友達、兄弟のようだったけど、兵隊は怖かったそうです。

もちろん中には優しい兵隊もいたのでしょうが、記憶に残るのは怖いという思いなのでしょう。

青野千恵子さんが米兵を殺したいと思っていたのと同じように、日本兵を殺したいと思っていた

現地人もいたそうです。

 

大場大尉は民間出身の大尉だったからこそ、兵隊も民間人も皆が生き抜く事が

できたんだろうとも思うのです。

陸軍学校、海軍学校出だったら生きて捕虜になるなんぞ絶対許さん!

太平洋の防波堤になれ、 人命は鴻毛より軽し、天皇の為に命を捧げる事こそ尊い名誉あることだ!

とか言って全員玉砕していたのだろうと思うのです。

 

もう一つちょっといやな見方をすると、、要は米軍は日本人に対してとてつもなく寛大だったんだ。

って言うことが言いたかったのかな。 私、ひねくれてますね、、失しました。 

 

 

映画 CASE39 ネタバレビミョウ

相変わらず今日も風が強いです。

こんな日は早く帰ってDVDでも見ながらお家で一杯やるのがいいですね。

 

昨日見たDVDのお話です。 ネタバレしないように注意して書きます。

 

ソシアルワーカーが担当した児童虐待のケースでそのケース番号が39!

で、、、タイトルがCASE39.

両親に虐待されているって事で、ソシアルワーカーのお姉さんが家庭訪問をしたり

インタビューをしたりするんだけど両親がなんかおどおどして隠し事をしているみたい。

お父さんは何を聞かれてもお母さんの耳にしかしゃべらないから、全部お母さんが答える。

娘はびくびくしてるし雰囲気がもう、虐待されてます!と言う感じ。

ソシアルワーカーのお姉さんが帰った後、お父さんは何やら床に穴を掘ってるし、

娘はベッドのマットレスの下にもぐりこんで隠れているみたいだし、、。

さて、、悪魔はどっち? 娘?親?

娘は殺それるぅ~とソシアルワーカーのお姉さんに電話で助けを求め。。。

何やら両親は娘を縛り上げてオーブンのなかへ、、アッ、オーブンのスイッチ入れちゃいましたよ。

そこへタイミング良くソシアルワーカーのお姉さんとおじさんが娘を救出。

両親は警察⇒病院へ。 娘は施設へ。

ところがこの娘、ソシアルワーカーのお姉さんがお気に入りみたいで結果、

このお姉さんの家に引き取られて一緒に暮らす事になるのです。

ホントに怖いのはここからです。 キャー~! 悪魔!

エスターと言う映画を思い出しました。 (ちょっと違うけど)

これ以上書くと又、ネタバレ!と皆に怒られるのでここまでにします。

 

耳に残っているのが、、ホワイ エミリー、ホワイ エミリー、ホワイ エミリー、ホワイ エミリー

レット ミイ イン 、 レット ミイ イン 、 レット ミイ イン!!!

ソシアルワーカーのお姉さんがエミリーって言うのです。

エミリーにも辛い過去があって、この悪魔は人の弱みと優しさに付込むのですよ。

ホラー好きにはたぶんたまらない映画だと思います。。。 ぜひ!おススメ。

 

戦争の証言者  (1月29日)

今朝のNHKおはよう日本で映画「太平洋の奇跡」が取り上げられていて、

大場隊47人の中の一人だった新倉幸雄さんが出演されていました。

47人の中でご生存されているのはお一人だけだそうです。

金谷安夫氏著の「戦陣の日々」の中に投降者名簿があり、その中に

大場栄大尉の名と共に新倉氏のお名前もありました。

金谷氏の記録によると投降時、新倉氏は海軍 五根司令部 機長

長野県出身とあります。

皆様のお名前が記されているので何名くらいの方がご存命なのかと

時々思いにふけっていましたがお一人だけだったとは存じませんでした。

金谷氏ご自身も海軍 七六一空 龍部隊 一機としてテニアン島で戦火の中を

行きぬかれた方です。 

今年91歳になられるのですが私のメル友になって頂いています。

戦争の証言者はまだまだいらっしゃると思います。

この映画をきっかけに沢山の方に証言して頂き、事実を風化させぬよう

あらゆる形で語り継ぐ事が出来たら、、と思うんですね。

サイパン在住の日本人として微力ながらできる事からやっていこうと

新たに思いを強くしました。

大場隊47人の事

「太平洋の奇跡」という映画が2月に上映されますね。

パウパウツアーズのツアーラウンジにも映画のポスターが張ってあります。

この映画の原作本「タポッチョー敵ながら天晴れ」が絶版になっていて、

やっと見つけたのは高値のオークションなのであきらめていたらS子さんが

持ってるよ!と言うので借りて読みました。

その後、映画のノベライズ本も貸して貰い読み終えました。

あと、残っているのは英語版オリジナル「OBA THE LAST SAMURAI」

これはねぇ~、、なかなか進みません。

 

昨年K川氏から借りた本で、サイパン高等女学校に通っていた佐藤多津氏が書かれた

「サイパンの戦火に生きて」の中に大場隊に関する一説があったのを思い出しました。

多津さんが収容所にいた頃の事で、このように書かれていました。

 

以下、本文引用です。

後になって分かった話ですが、米軍の呼びかけに応じないで山にこもっていた

大場大尉ら48人(ここでは48人と書かかれています)が、昭和20年12月1日に

サイパン島司令官代理の第八海兵隊長カーギ中佐の下で武装解除されました。

その時、日本兵の軍服が新しいのに気付いた米軍は、山にこもっていた大場大尉らと

内通していた者がいるはずと、抑留所の日本人全員が厳しく取り調べられました。

その結果。「A子が内通した」との密告があり、規則違反の罪で戦犯となり、

日本へ引き揚げてから巣鴨プリズンで1年間過ごしたと聞いて驚きました。

その後、昭和40年頃にA子さんは洋裁で立派に自立されていると聞き安心しました。 

 

祖国へ帰国された方々がサイパンでの体験を記録されている書物は何冊もあります。

これらの著者は、皆さん同じ時を同じ場所で過ごされた方々なんですね、

同じ名前、同じ場面が著者それぞれの立場で書かれています。 

大場隊に綺麗な軍服を用意したA子さんと言うのは奥野春子さんかなぁ~とも思われるのですが

彼女に関する史実は見つけられませんでした。

 

 

 

 

洞窟にあった水筒

1月27日、サイパン

今のところ晴天(朝10:30)、でも風が強いです。

雲のかたまりがどんどん流されています。

窓から見ていると明るくなったり暗くなったり

けっこう目まぐるしい。

 

昨日、また新たな洞窟へ行ってまいりました。

誰かが見つけて、そっと置いたのだろうと思われる

水筒がありました。

周りには瓶も数本あって、戦争中ここにも

人が隠れていたのでしょう。

民間の方なのか兵隊さんなのかは解らないです。

 

この近くには他に洞窟があって戦争中に

沖縄の人が隠れていたという洞窟も

あるそうです。

今回は行かれませんでしたので次回は

行こうかと思います。

サイパン中の洞窟、全てに人が隠れていたと言っても過言ではないと聞いていますが、

本当なんだなとしみじみ思いました。

 

 

バンザイ岬

 

サイパン島、東側の海は太平洋で、バンザイ岬も

太平洋側に面しています。

普段はわりと穏やかで海中にいる亀や

パイロットフィッシュを見る事も出来るのですが

ここ数日はとても荒れています。

この断崖は80メートルくらいあるのですが

波しぶきが上まで飛び散るほどです。

 

冬の日本海みたいだなぁ~と感慨にふけっていると

反対側の崖っぷちに釣り人数名発見!

俺達はバンザイ岬で釣りは出来ないよなぁ~と

お客様が呟いていました。

この人たち、、ホントにいい人なんだなぁ~と

思いました。

 

 

 

 

 

手榴弾

1月20日、、今日のお天気はまぁまぁ晴天

といっても良い感じです。

今朝の事です、、、。

不発弾がありました。

ジャングルの中を歩いていたら突然

ドライバーのロッドが道を外れ崖の方へ

すっ飛んでいきました。そしてなにやら

ジット見つめていたかと思うとボソッと

「不発弾、手榴弾、まだピンが抜かれていない」

との事です。

と言うわけで写真を撮りました。

奥の方の丸っこいカタマリの上にピンが

ささっていますね、、。

これがピンを抜いていない手榴弾です。

 

たぶん地主の人が見つけてよけておいたのだと思います。

ロッドが言うには、こういうものを見つけた時、皆さんあまり動かさないそうです。

動かした後に病気になってしまったりする事が在るのだそうです。

癒されていない魂がまだまだたくさんいるということなんだろうなと思いました。

キングフィッシャー

1月19日、、、、雨が降りそうなので傘を持ってお出掛け!

でも、、いりませんでした。

枝にとまったキングフィッシャーを見つけたので【近写】してきました。

かわいいですねぇ~、、、、おしりが、、。 

ヤシガニキャッチの仕掛け!!!

今日は1月18日 昼前にマッピでスコールが来ましたが

後は晴天でした。

 

最近、ジャングルの奥のほうへ入ると椰子の実に

まるで四角い口のように穴を開けてぶら下げられていたり

木の枝に刺してあったりする光景を見かけます。

前からあったのかもしれませんが気が付いたのは最近です。

 

なんかのおまじない? ブラックマジック? 魔よけ?

違ったのです。

これはヤシガニを捕獲する為のものだそうです。

でも聞く人によって言うことが違うんですね。

 

その①

 これはヤシガニトラップでヤシガニが四角い穴から

 はさみを入れてココナッツを食べようとするとはさみが

 抜けなくなる。

 なのでこうやって罠を仕掛けておいて、翌朝見に来ると

 ヤシガニがかかっている。

 

その②

 これは罠ではなくてヤシガニをおびき寄せるだけ。

 ココナッツの匂いにつられて寄ってくるヤシガニを待って

 捕まえる。

 

どっちの説が正しいのか、、、まだ不明です。

でも、ヤシガニってまだサイパンにもたくさんいたんですね?

もう食べられちゃって絶滅に近いと思っていました。

突然思い出した事

せっかく晴れてきたとホッとしていたところ

今日1月16日、晴れたり雨が降ったりと安定しないお天気です。

 

今朝、会社へ来る前にメモリアルパークへ寄ってきたのですが、

ビーチロードをハイアット側に曲がって、右手にメモリアルパークの

博物館の屋根が見えてきたあたりでふと、昔の事を思い出しました。

もう何年前になるのか忘れちゃいましたが、早朝のことです。

明け方ハイアット宿泊のお客様を空港へご案内する為に車を

走らせていました。 ちょうど今走っているこの場所です。

 

マイクロビーチの奥の方から対向車が1台走ってきました。

こんな朝早くまだ暗いうちからどこへ行ってたんだろうあの車!

そんな事を思いながら対向車を見ていました。

両車がどんどん近付きドライバーの顔が分かる所まで来ました。

 

ん? 何で?

そのドライバーはウェデイングドレスでも着ているような装いで

頭にはベールもかぶっていました。

すれ違った瞬間に直ぐにバックミラーを見たのですが、

その車はミラーには写っていませんでした。

曲がり角も無い直線道路だったんですよ。

消えちゃった!

 

そのままハイアットへ行きお客様を乗せて空港へ行き

一仕事を終えて、、会社へ戻りこの不可解なお話を皆にしたのですが

(その頃はジャルパックサイパン支店なのでオフィスはニッコーホテルにありました)

全くもう!誰も信じやしない。 

酔っ払ってたんじゃないのか?昨日の酒が残ってんじゃないの?等など

ひどい言われようでした。

でも、、本当のことなんです。

 

それからしばらくしての事。

一人残業をしていると妙に後ろが気にかかる。

でもふりむいた所で誰かが居るわけではない。

そりゃそうですよ、、一人残業なんですから。、、ネ。

 

仕事を終えて家へ帰る途中、、坂道の手前あたりで

急に車が重たくなるんですね。

そしてちょうど今のカレッジ(旧ドクタートレス病院)をちょっとすぎた所で

車が軽くなるんです。

「あぁ~、誰かがここまで乗りたかったのね」と思いました。

それで、、何かが見えたわけではないのです。

 

そして家に着き、テレビを見ながらリビングでそのまま寝てしまったら、

足を引っ張られている感覚がして、たぶん無意識でドアのふちか何かに

つかまって、引きずられないようにしていたのだと思うのです。

もうだめだ!つかまっている手が離れてしまうぅ~、ひきずられるぅ~!

と思った瞬間我に返ったというか、眼が覚めたというか、、。

何だ夢か!で終われば笑えるんですが、、かけていたタオルケットが

こう、ずりずりっと引っ張られたように遠くの方に縦に伸びていて、

タオルケットの一部が壁の中に吸い込まれているように見えたんです。

実際にドアのふちにつかまっていたようで指と爪が妙に痛かったのです。

そのあとは全ての電気をつけてそのまま起きていました。

ただ起きてるのもつまんないのでジャックダニエルオンザロックと共に朝を迎えました。

 

しかし、、、なぜ、どうして今日そんな事を突然思い出したのか、、そっちの方が不可思議なんです。

 

 

うろこ雲?ひつじ雲?いわし雲?

 

1月14日夕刻 

フィエスタリゾートの庭から見た雲の様子です。

これはうろこ雲?いわし雲?ひつじ雲?

 

「ねぇ、ねぇ!今日の雲何か面白いョ!

化学反応を起こして分離したみたいな雲、

写真撮って来る」

 

と、オフィスの皆に言い残し一人庭へ、、。

と思いきやSEIYA君が後から付いてきて

「いやぁ~きれいですねぇ、うろこ雲?」

 

うろこ雲って言うんだったっけ?

そうだよね、うろこ雲とかいわし雲とか

ひつじ雲とかってあったよね。

すっかり忘れてました。

 

SEIYA君が思い出させてくれた日本の雲でした。

 

晴れました! 今日は13日木曜日

晴天です。

やっと南国らしいお天気になりました。

晴れたのは嬉しいですが、、、暑い! 暑いです。

 

見てくださいこの見事なランの花、これはフィエスタの庭師が

丹精こめて育て上げたランです。

他にももっと濃い赤や純白のもあるんです。

陽射しの下で、、もう、、輝いちゃってホント素敵!

思わず写真を撮っちゃいました。

 

このランの花はフィエスタの庭に設置してある

喫煙所の側にあります。

 

そうそう、サイパンも喫煙場所が規制されてきていて

昔のようにどこでもおタバコが吸えるわけではないのです。

が、フィエスタリゾートは解りやすい場所にいくつかの

喫煙場所を設けています。

で、、フロントロビー側の喫煙所だけ傘があるんですよ。

だから雨でも大丈夫!と思うでしょ、、。

しかし、、この傘の下まで行く道には屋根はないのです。

 

 

1月11日  やっと晴れそう

昨日(1月10日)も殆ど一日中雨でした。

風が強かったので雨雲はどんどん流れていましたが

夕方になって風がピタッとやんでしまい、、、明日も雨かなぁ~!

 

そして今朝、、雲の隙間から青空が見え始めました。

やっとサイパンらしいお天気になってくれそうです。

 

昨日、あのうねる海の中トローリングに出かけたサイパン在住チームがいたようです。

皆さんヨロヨロになったそうですが、お一人船酔いにもまけず

ひたすら酒を飲み、ご飯を食べ続けていた人がいたとか、、。

で、、お魚は釣れたんですか? 

かつおとシーラが釣れたそうで昨晩は皆で宴会だったようです。

船には乗りたくないけど、、宴会は好き!呼んでちょうだい。

 

サイパンのかつおは日本のみたいに脂は乗っていませんが

さっぱりしていていくらでも食べられる感じです。

サイパン風のフィナデニソース(レモン、醤油、生唐辛子入り)で食べても

韓国風(辛味噌つけて、生唐辛子を挟んでサンチュ巻き)で食べても

もちろんオーソドックスにわさび醤油で食べても、、、美味しいです。

 

 

1月9日   雨です

年が明けてからずっとお天気が今一です。

元旦は晴れていましたがスコールがありました。

その頃、お客様と一緒にサンタルーディス(マリアの祠)に向かっており、

到着した時はドシャブリ状態でした。

 

そして昨日は今年初の慰霊巡拝コースのご予約があったのに

朝からドシャブリで「大変、どうしよう!」と思いながら会社へ向かいました。

お客様のお迎え時間頃に雨が上がって青空が見えてきたので「助かった!」と一安心。

 

そして今日、、1月9日。

朝からスコールの繰り返しです。

会社の窓から見える山の向こうはもうグレー一色です。

ラウラウゴルフ場もたぶん雨、熱帯植物園もたぶん雨だろうなぁと思っていたら

植物園の○根っちからのお電話情報では「凄い雨」と言うことです。

大きなバケツを上空でひっくり返したような、勢いのある見事な雨が眼に浮かびました。

今、午前11:00、、、外はますます暗くなってきました。

超リピーターの○井様ご一行が、今、正にラオラオでのゴルフ組みとパウパウ観光組みとに

分かれてご参加中なんですよ。 

そして午後からはラオラオゴルフ組みをお迎えに行って、アイランド観光へご案内する事に

なっています。  車中でスコール! 下車したら雨がやんでる!と上手く行かないかな。

 

そして、、思い出した事が一つ!

ライブドアーの方で作っている【パウパウアイランド日記】今日で1歳になりました。

思い起こせば昨年の今頃、、あっちこっちのブログページを模索して、いろいろ試していたのです。

如何せんブログ、、ホームページこれらの作成知識が皆無なもので「誰でも簡単に出来る」という

キーワードで探しあて何とか形を整え「皆で毎日書きましょう」と言うことでスタートしました。

早1年! あっという間ですね。 、、、なので今日は【パウパウブログ記念日」です。

新年あけまして

おめでとうございます

 *2011年スタートは【にっぽん丸】

パウパウツアーズ、2011年初の大仕事は

「にっぽん丸」でした。

 

朝、サイパン港に着岸し、夕方5時には

出港してしまいます。

サイパン島ご滞在中の

お客様のお世話を承りました。

 

もう、パウパウツアーズ一同、朝から

(実は夕べから)大騒ぎです。

あれはどうする、これはどうする、

バスは何台、ガイドは何人。

港は暑いからお水持って行こうね。

ガイドさん達のお昼ご飯は

お弁当にして、、、。

港に入る許可証OP、

無線ラジオOK、等など、、、。

 

にっぽん丸の写真ですが、船が大きすぎて全部入りませんでした。

 

 

 

にっぽん丸は夕方港を出て行きました。

船のドラが鳴って、あぁ帰っちゃうのねぇ

何かさびしいね。

そうしたらいきなりパトカーのサイレンが

大音量で鳴り出し、海上にいたコストガードの

ボートもなにやら大音量でサイレンを

鳴らし始めました。

 

何があったの??私達もしかてナンか

悪い事とした?

捕まるの?新年早々??

えっ? 何ナニ??

と、ちょっと慌てました。

 

そうしたら、、皆お見送りの合図

だったんです。

港の様子と船内写真です、フィットネスに映画館、プールもあるんですね!

朝08:00~夕方17:00までの1日だけでしたが、大変充実した元旦初仕事でした。

いやぁ実はいろいろあったんです。

2番のパウバスが最後の最後でちょっとご機嫌が悪くなってしまったり、自分の携帯電話を間違ってロックしてしまい、

使えない。ロッドの無線ラジオは電池切れ! (全くもう、こんな時に、、、)

自分の電話なのにロック解除の暗号が分からない。 0000、1111、携帯電話番号を入れてもダメ!あせったです。

マリアの祠では突然のスコールにも見舞われました。

しかし、、添乗員さんがもうホント! 惚れちゃうくらい素敵な人で、ほんまもんのプロフェっショナルだ!と感激しました。

またぜひ一緒にお仕事させて頂きたいと心から思いました。 

 と、言うわけで、、今年もたぶん波乱万丈なパウパウツアーズの1年となりそうです。

 皆様、今年もどうぞよろしくお願いします。

マウントカーメル大聖堂

マウントカーメル教会です。

スペイン統治時代に建てられた教会ですが、

第二次世界大戦で破壊され再建築されたものです。

1984年にローマ法王より北マリアナ諸島を

統一する教会として大聖堂の名が付いたそうです。

 

 

そういえば、ずっと昔この教会で日本人ツーリストの

結婚式が挙げられていた時代がありました。

ところが、ある時をさかいにサイパンの

カトリック教会では一切ツーリストの結婚式は

挙げられなくなりました。

 

 

 

 

教会で式を挙げられるのはカトリック信者である事、挙式前に教会に通い教えを請う事等が必要になったからです。

その頃からサイパンにはチャペルと呼ばれる建物が建てられ始めました。(主にホテルの敷地内にあります)

ツーリストの挙式はこのチャペルで行われるようになったのです。

 

チャペルとチャーチの違い! ご存知ですか?

以前フカダウエディングと言う会社がサイパンにありました。今の「クチュールナオコ」です。

当時ミセス・バウワウ(日本人の女性です)と言う方がそこの責任者をしていました。

ツーリストのお式でチャーチが使えなくなって、チャペルに移行し始めるまで、

バウワウさんは本当に心を痛めていました。

 

そのバウワウさんに教えてもらったのです。

チャーチは教会で神様がいて宗派も決まっているからその宗派の人達がお祈りをする場所。

チャペルは礼拝堂で決まった神様はいないのでお祈りをする神様は人それぞれでかまわない。

そう教えて頂きました。

バウワウさん、、もうお亡くなりになってしまってますが、

天国で「あら、○っちゃん! よぉ~く覚えてたわね、偉い偉い」と言ってくれている様な気がします。

キリスト生誕: MTカーメル教会前/クリスマス、ニューイヤーの期間だけ見る事ができます

12月25日 クリスマス ♪♪♪

今年のクリスマスは何時もの年よりやけに静かな気がします。

毎年真夜中に花火があっちこっちで上がっていましたが、

今年は遠くの方でかすかに音がしていただけでした。

 

サイパンの民家は庭にもクリスマスイルミネーションを飾っていて

夜になるとホントに綺麗だったんです、、、が、、、、。

今年はそういうおうちも殆ど無し!!

やはり、、電気代高騰のあおりだと思われます。

サイパンは殆どのおうちが全てのエネルギーを電気で

賄っています。

エアコン、冷蔵庫、テレビ等はもちろんですが、

料理をするのも大きな電気オーブンを使い、お風呂のお湯を

沸かすのも大きな電気ウォーターヒーターを使っているのです。

 

ところが、、かれこれ5年前くらいから電気代が大高騰し

とんでもない金額になっています。

なので、、クリスマスイルミネーションなんぞ燈したら

来月の電気代請求書が恐ろしい事になるのです。

あぁ~恐ろしや、、恐ろしいや。

 

 

 

 

 

12月21日 今日は皆既月食

今日は【皆既月食】、月蝕は今年3度目だそうですね。

でも皆既月食は約3年ぶりだとか、、。

 

そうですよ、思い出しました。

今年の1月1日未明に部分月蝕がありましたね。

ちょうどパウパウ恒例【初日の出ツアー】のホテルお迎え時間の頃、

フィエスタリゾートのロビーから見た月が月蝕の真っ最中でした。

それからパームスリゾートまでバスで移動し、ご参加のお客様を

ロビーでお呼びしていたら、、部分月蝕がさらに進んで将に渦中!

 

バスに乗っていたお客様皆にお知らせして、パームスリゾートのロビーから

月明かりに照らされてきらきらと光る海岸の美しさと月蝕に見とれていました。

綺麗だったデス。

 

今年最後の月蝕は日本時間で16:40頃から始まるようです。

と言うことはサイパンでは17:40。

大変、、今日は18:00前に家に帰る。

押入れから望遠鏡を引っ張りだしてセットしなくてはなりません、、、。

楽しみですね。

12月18日 熱帯植物園の入り口が道路工事中です。

朝、熱帯植物園まで行ってきました。

サイパンは今日も晴天で海も緑もキラキラ輝いています。

植物園まで行ったのは、園の入り口が道路工事中で

大型バスが入れないのではないか!!

 、、と言う心配があったので中型車両2台に分け、

その1台の運転手として行きました。

 

確かに、、これでは大型バスは入れません。

溝は深いし、曲がりきれないし、、、。

VANサイズが限界のようです。

 

いつまでかかるんでしょうねこの工事。

 

 

12月16日 金谷安夫氏 【慟哭の島】

【戦塵の日々】の著者 金谷安夫氏のスライドショー【慟哭の島 その事実】を

アップしました。

 

 

『我身ヲ以テ太平洋ノ防波堤タラン』 『人命は鴻毛よりも軽ろし』 『闘魂、大和魂』

兵士達は国を守るという大義名分の為、その命を国に捧げたのです。

 

金谷氏は761海軍航空隊の兵士としてテニアン島でその任務についていました。

神の助けか仏の導きで傷痍の見ながら命の音だけは保ち、ジャングルに眠る友に

『何時か必ず迎えに来るぞ』と誓って復員したそうです。

 

玉砕した戦友の遺骨を一人でも多く祖国に帰したい。

こんな愚かで悲しい戦争は二度と繰り返さないと誓って欲しい。

そんな思いでこの【慟哭の島】を編集したそうです。

金谷氏の意思を少しでも繋いで行きたいと思い紹介させて頂きました。

12月13日 クリスマスツリー

パウパウツアーもやっと!クリスマスツリーを飾りました。

如何せん手狭な事務所なので置く場所が無いのです。

 

このコーナーには小さなテーブルがあって、ポトス、

パンダナスなどの観葉植物と絵葉書、ココピッグなどを

置いてあったのですが、ツリーを置く場所を作る為

テーブルは一時撤去しました。

 

このツリー、実はJALPAKサイパン支店時代の

ハファダイホテル内ツアーデスク用だったツリーです。

JALPAKサイパン支店の形見と言うわけです。

長い間倉庫に置きっぱなしで、今年こそは飾ろうね!と

皆で倉庫から運んできました。

 

パウスタッフのSEIYAが、、、、、、、、。

ハロウィーンの飾りつけはやけに盛大に

やってたのに何でクリスマスツリーは

飾らないのか? という素朴な疑問に

お答えして、、。 飾ったサ!

 

ハロウィン飾りは場所取らないでしょ。

でも、クリスマスツリーは場所を取るのよねぇ~。

置き場所つくりがこれまたけっこう大変な作業でして。

 

しかしこのツリー、TASIツアーズさんの

マニャガハマスコットのマーヤちゃんが

やけに目立つわネ。

12月11日 サンビセンテの海岸

サンビセンテのビーチです。

サイパンのビーチはみなそれぞれに

名前が付いているのですが、

ここのビーチは何て呼ばれているのか知りません。

もしかして名前もないかもしれません。

すごく小さな、、、狭いビーチです。

 

やや険しい岩だらけの坂道を下ってきます。

横に見えている岩は人の横顔みたいですね。

 

正面に見えているにはカグマン半島です。

 

 

住宅街から少し外れた所に入り口がありますが、

入り口まで来るのにもピックアップトラックか

バンのような車高の高い車で傷がついても

まぁいいか!とあきらめられるような車で

来た方がよさそうです。

 

車を止めてからまた少し歩きますが

もう、どう見てもジャングル!

出勤前にちょっと見て行こうととても軽い気持ちで

来てしまいました。(大失敗)

スカートにヒールの靴で来てしまった。。。

ジャングルルックで来ればよかった。。。

大後悔!! クゥ~!!

でも、私はその格好で歩きましたよ。

パウパウジャングル&慰霊ガイドの名にかけて。

手なんぞ引いてくれなくて良し、ガイドが手引を引いてもらってちゃしゃれにもならないし、、。

ジャングルだろうが、崖だろうがどこだって歩いてます。

なのでこのくらいどうって事無いのョ、、でもヒールはさすがに歩きづらかったです。

皆さん、山道崖道ジャングル道は履物が勝負よ。

サイパンらしい。

良いお天気ですね。

椰子の葉っぱにキングフィッシャーがジーっとしています。

 

どこからか風に乗ってほんのりと良い香りが、、、。

プルメリアの花が綺麗に咲いていました。

 

あっちに咲いている赤い花は、、、。

季節はずれの南洋桜!

早咲き? 咲き残り? 狂い咲き?

 

どちらにしてもサイパンらしいのどかで平和な風景です。

旧日本軍の戦車が大変な事に、、、、!

 

ラストコマンドにある戦車です。

砲塔部分が下に落ちてしまっています。

突然どうしたのでしょう!

錆びてはいましたが、こんなに突然

転げ落ちるほどでは無かったように

思うんですよね。

 

ナンカ切ない、、、、、。

スゴク切ない、、、、、。

12月5日 ダオック 和名:テリハボク

 

サイパン神社(シュガーキングパーク)に行くと、

梅干サイズの茶色い実がたくさん落ちています。

とても固い実なので踏むと痛いくらいです。

 

何の実なのかなぁ~、食べられるのかなぁ~!

でも、こんなにほったらかしにされているんだから

きっと食べられないか、美味しくないかのどちらか

だろうと思っていました。

だって、、ですよ、、美味しい実だったら、皆さん

拾いに来ますよね。

 

そのうちにお客様に聞かれるだろうな、

「この実は何の実?」って。

早く調べなくては、、と、、思いつつ

月日はたっていきました。

サイパン神社にはこの樹が何本もあります。

同じ敷地内なのに、こっちの樹は実が殆どおちています。

 

こちらの樹は花盛りです。

 

この樹、名前がわかりました。

チャモロ語では【ダオック】と言います。

ダオックまでは解ったのですが、では、、日本語では何と言う!

せめて英語名でもわかればインターネットでも調べられるのに。

そして「DA’OK OIL」で検索してみた所

でてきました。。。やっと判明!

 

テリハボク(照葉木)と言う名前でした。

ちなみにハワイではカマニと呼ばれ

タヒチではタマヌ、インドではプーン。

英語ではプナイナッツ。と言うそうです。

 

このテリハボク(サイパンチャモロ語はダオック)は

実から油がとれます。

ロタ島では薬用、美容オイルとして

販売されていました。

 

テリハボクはインド洋諸島、東南アジア、太平洋諸島等熱帯の海岸で

良く見られるようです。

テリハボクの実は椰子の実のように固い殻に包まれています。

この実が海を渡って流れつき増えていくんですって。

 

芽が出ているのを見つけました。

← これです、、これ! パウパウオフィスで育ててみる事にしました。

 

椰子の木登り

 

 

パウパウツアーズのロッドです!

 

ジャングルツアーでお客様が「椰子の実ジュースが

飲みたぁーい!」 と、、、、、、。

 

で、こういう事になったのです。

それにしてもロッド、木登り上手い。

 

ジャングルチキン 野生の鶏です

サイパンには野生の鶏がいっぱい居て、

ジャングルチキンと呼ばれています。

カラベラ洞窟周辺にはたくさん居ますが、

ここはグロット展望台です。

グロットの駐車場奥がジャングルになっていて、

何気なく覗いてみたら、、居た居た!

いましたよ。 ジャングルチキン。

カメラを向けたらトットと逃げていって

しまいました。

かろうじて、、これだけしとめました。

しとめたのはカメラですよ。

つかまえちゃぁいません。

日本軍の航空魚雷

アスリート旧日本海軍航空基地にある魚雷です。

今まで草の中に埋もれてしまっていました。

誰が草を刈ってくれたのかはわかりませんが、

もしかしてWリーさん達かもしれない。

 

この魚雷は航空魚雷と言う物らしいです。

実は、魚雷と言うのは全て海で使われる物と

思っておりました。

 

航空魚雷と言うのは飛行機から投下できるように

設計された魚雷で第一次世界大戦で始めて使用され、

第二次世界大戦では広範囲に使われたそうです。

 

 

日本海軍が製作した航空魚雷には主機械に星型の八気筒を採用しているんだそうですが、

見てもわかりませんでした。

 

 

12月4日 パウパウメール復活しました

パウパウホームページのお問い合わせメールアドレスが復旧しました。

お問い合わせを頂きました皆様、大変申し訳ございませんでした。

 

もう大丈夫です。

お問い合わせフォームから、もしくは下記アドレスで受信できるようになりました。

 

pau2@paupautours.net

 

お問い合わせお持ちしています。

12月3日 お詫びです

お問い合わせページのメールあどれす設定が

きちんと反映されておらず頂いたお問い合わせにお返事が出来ておりませんでした。

誠に申し訳ございません、お詫び申し上げます。

 

あれこれテストしてみたものの、受け取りメールアドレス設定が

どうしても上手く行きません。(メールが迷子になってしまいます)

 

問い合わせたが返事が無い! と言うことで日本の連絡先である

ヤマズジャパンの方へ再度お問い合わせを頂きメール不具合を知った次第です。

 

お問い合わせのページにも記しましたが当面の間、下記アドレスに

ご連絡を頂きますようお願い申し上げます。

 

tourservice@pau2tour.com

 

 

サイパン地獄谷

地獄谷に行ってきました。

パウパウツアーズの慰霊巡拝でお参りする場所です。

ここは泥濘や急傾斜がありましてたどり着くのがかなり

大変です。 ツアーの時はロープ持参で行きます。

しかし、雨期の頃には草が背丈よりも伸びてしまい、

泥濘は泥沼のようになってしまいます。

客様次第では入り口で山に向かって手を合わせる

だけの事もあります。

 

しかし、、そろそろ雨期も終わる頃。

乾季になれば少しは入りやすくなります。

実は今週火曜日に慰霊巡拝のお客様が

いらっしゃるので視察と道作りに行ってきました。

右の写真は地獄谷入り口付近から撮影したものです。

では、順を追って道すがらご案内しましょう。

 

雨期に降ったたくさんの雨で一面の雑草が、それはまぁ、

すくすくと成長していました。ゆうに背丈は越えており、

さて、どこから切り込むか!

と思案しているパウパウメンバーです。

こういう時は実に頼もしい! 今日は3人の助っ人が来てくれました。

一人はきっちりジャングルルック、、な の に、、後の2名はなんとぞうり

(ここで言うぞうりとはビーチサンダルの事です。ビーチサンダルの事を

チャモロゴでぞうりといいます)

 しかし、ぞうりとは、なめてるよねぇ~、ここはすべるよ!

 

 

前を行く3人がマチェッテ(蛮刀)で草をバッサバッサ刈って

刈った草を道に敷きつめて泥濘を埋めてくれました。

その草を踏みしめながら進むも、ところどころグチャっと

泥にはまったりしながらの道行きでした。

もうここらあたりですでに汗だく!!!!!!

 

ふと、背中になにやら気配を感じました。

ふりむけば、なんと、、そこに居たのは

2匹の子豚! かわいいぃ~、ちょうど丸焼きサイズ!

美味そう!と心の中で思った瞬間に2匹とも

逃げていきました。

 

 

草と泥濘を脱出して森の中に入ると心地よい風が吹いてきました。

足場は悪いけれど、さっきよりはまだ歩きやすいです。

 

石を積んでワイヤーネットをかけた低い堤防のようなものが

あります。 これは目的地へ付くまでに3箇所くらいあります。

いつの時代に何の為に作ったものなのかまだ調べていません。

(ご存知の方がいらしたら教えて頂きたいと思っております)

 

 

更に奥へ行くと、崖に向かって斜面が急坂になっている

場所が目線に入ってきます。 おぉ~ここ、ここ、ここです。

上ろうとすると砂と石でもの凄く滑ります。

踏ん張ってもズリズリズリィ~、、と滑り落ちたりします。

しかしここを上らないことには目的地へ到着できない!

 

お客様をご案内する時はロープを持って来るのですが

今日はスタッフだけなのでロープ無し!

自力で行きます。

これを上ったところに鉄板があり、その鉄板の更に上方に

大小の洞窟があります。

 

 

鉄板の所までのぼってきました。

あまりにすべって鉄板の正面で停止できず

写真は鉄板の裏側からになってしまいました。

 

鉄板に空いている穴は銃弾が通った後です。

ここ地獄谷は昭和19年6月29日、タポチョの陣地を追われた

南雲忠一海軍中将率いる日本軍合同司令部が最後の

砦とした場所です。

 

更にこの先の崖を上ると大きな洞窟があります。

昭和19年7月6日に南雲海軍中将、斉藤陸軍中将

陸軍井桁少将が自決した場所との説もあります。

説もあるというのは、、南雲海軍中将最後に関しては

いくつかの説があるからです。

 

根拠は無いのですが、この説が一番自然かな

と個人的に思っている説をご紹介します。

平櫛孝元陸軍少佐の証言と言うのがあります。

 

第43師団参謀兼中部太平洋方面艦隊参謀

最後の突撃の際負傷して意識を失い捕虜となって

戦後生還した。

南雲中将が最後の突撃で将兵と行を共にした

というのは事実ではない。

斎藤中将の遺体を丁重に葬ったという米側の

記事も事実ではない。

 

7月6日午前10時頃 洞窟の一段高いところを

掃き清めて自決の場所とし、斎藤中将を中央に、

右に南雲提督、左に井桁少将が祖国に向って

正座した。高級副官鈴木二郎陸軍中佐の

「よろしゅうございましょうか」との声に、

「どうぞ」と南雲中将が答え、3名が軍刀を逆手に持ちそれぞれの腹にあてた。

鈴木中佐の右手が挙がった瞬間、3名の後ろに立っていた3名の副官(南雲中将には荘林規矩郎海軍中佐、

斎藤中将には牧野秀夫少尉、井桁少将には柳本冨士雄中尉)の拳銃が火を噴いて3将軍はどうと前にうつぶせた。 

荘林中佐は南雲中将の後始末をつけてから自決または突撃死したと思われる。

なお平櫛少佐によれば、3将軍自決の後の陸海軍幕僚会議で意見が分かれ、海軍側は総攻撃不参加を宣言、

陸海軍は袂を分かったことになっている。

洞窟の右側を更に登っていくと

他にも小さな洞穴があります。

ここが更にすべります。

身の危険を感じました。

こんな所を敵の銃弾に晒されながら

追われていく気持ち!

想像するにも筆舌に尽くせないです。

 

足元がずるっと危うくなったので

思わず木の根っこをつかんだら

それがスルッと抜けてしまいました。

ヒヤッとしましたが、滑り落ちることなく

何とかとどまりました。

そしてふと、手にある根っこを見ると。

それは一片のお骨でした。

 

ごめんなさい。今日は線香もお水も持参していません。

また、火曜日に来ますのでその時に改めて

お線香を上げさせて頂きます。

 

と、心の中でお詫びをしながら鉄板の所へ

移してきました。

鉄板の所まではお参りに来られる方も時々は

いらっしゃるので皆さんにお参りしてもらえますよね。

 

この事を【戦陣の日々】の著者でもあり、

私のメル友でもある金谷氏にご報告申し上げようか

どうか、、金谷氏がどんな御気持ちになるのか、、

等など考えてしまいました。

地獄谷、、ここが最後の日本軍合同司令部があった場所です。

11月28日 日本統治時代の民家

チャランカノアに戦前からある日本家屋です。

木造りの家で床上げ式、しかも門柱つきです。

昔はサイパンにシロアリは居なかったんでしょうね。

 

このお家は木作りの家ですが、

当時のコンクリート住宅の跡もまだ残っています。

特徴はみんな、庭に大きなコンクリート製の

丸いタンクがありました。

雨水を貯める(天水タンク)と呼ばれるものです。

 

では、当時日本人が住んでいたコンクリート住宅の

一部をお見せします。

今回は主にチャランカノアに残っている建物です。

 

 

実は、これらコンクリートの建物はしょっちゅう目にしていたのです。

かなり昔からずぅ~っとありました。 これらは大型台風で破損してしまい

立て直す事もままならなくなった人々が放置しているのだろうと勝手に思い込んでおりました。

違ったんですネェ。

それにしても日本統治時代にはたくさんの日本人がこのチャランカノアに住んでいたんですね。

11月27日 サンビセンテの洞窟

サイパンのサンビセンテと言う場所は

静かな住宅街です。

私もこのサンビセンテ地区に住んでいます。

かなり、、ながく住んでいますが近くにこんな洞窟が

あった事は今朝まで知りませんでした。

 

この洞窟は民家のすぐ横にあり、道路からも

すぐに見えます。

小さなお子様や酔っ払いが簡単に落ちそうな場所です。

深いし、奥行きもかなりあると聞きました。

 

実はこの洞窟、戦争中にチャモロ人の家族が

隠れていた洞窟で、当時は縄梯子を使って

上り下りしていたのだそうです。

 

隠れていた人々はご高齢により、亡くなっている方も多いのですが、現在グアムに住んでいる

87歳くらいになられるご老人はまだお元気でサイパンに来る度にこの洞窟を見に来ては、

ここだ、ここだ、この洞窟だった、と言うことで当時のお話が尽きないそうです。

 

しかし、、今この洞窟は不法投棄ゴミがたくさんあってとても中まで入っていかれる状態ではありません。

皆の命を助けてくれた洞窟!ゴミなんか捨てるな!

と、、言いたい。

 

11月24日  昭和3年3月施工 貯水池跡

もともとは文字が張られていたようです。

向かって右から【貯水池】と書かれた跡があります。

下に【昭和3年3月施工】と書かれているのですが見難いですね。

ここはミドルロードのパシフィックトレーディング社上方にあります。

駐車場から建物の上の方だけ見えています。

 

ここも、66年前までは沢山の人が働いていたのでしょうね。

こういう昔の建物を見ると思うことは何時も同じです。 

 

 

 

 

皆さん無事日本へ帰れたのかなぁ~、それとも無念にも戦死されたんだろうか?、、、と。 

11月23日 まんまるお月様

昨夜のお月様

肉眼で見たときはもっともっと大きくて、もっと黄色くて丸かったんですが、、、。

写真って難しい! どうしてもお伝えできない。

11月22日 旧日本軍の建物 

キャピタルヒルを上がって、旧マゼランクラブへ行く

途中にあります。

道から少し奥深く入るので普通に歩いていると見つかりません。

ここは旧日本軍の無線局跡地だそうですよ。

個人の方の敷地内にあるのでむやみには入れません。

入り口から建物までは綺麗に草が刈られています。

建物は3塔に分かれていて、2階建てです。

千羽鶴が供えてある部屋もありました。

66年前、ここで無線交信していた人々は無事に日本へ帰れたのでしょうか、戦死してしまったのでしょうか。

11月21日 そろそろ雨季も終わる頃

今朝は大変良いお天気で、自分の机の横に小窓があるのですが

そこからの日差しがまぶしくて、左手だけ日焼けしそうな気がします。

ま、今更日焼けの心配した所でどうしようもないので自然に任せます。

 *きっとそのうち大後悔し、慌てて美白化粧品等買いまくる自分の姿も描けますが、、。

 

最近雲の様子も変わってきましたョ。

夏雲から秋っぽい雲になってきました。

夜間は少しずつ過ごしやすくなってきています、そろそろ雨季も終わる頃です。

いよいよサイパンのゴルフシーズン到来!

ゴルファーのお客様もこれから増えますね! 増えるといいな! 増えて!!!!

と、心の叫び。 

 

サイパンはちっちゃい島ですがゴルフ場が多いのです。

ぜひ挑戦して頂きたいのが海越えコース!

 

この写真はラオラオゴルフのイーストコースです。

ここの海底に、、いくつのゴルフボールが落ちているのでしょうね。

ゴルフボールだけじゃなくてクラブも落ちてるそうです。 やっちゃったのね!

 

手元に写真があったのでラオラオと下の写真はキングフィッシャーゴルフです。

ほかにコーラルオーシャンポイントやマリアナリゾートゴルフ場もあるので

毎日ゴルフ三昧 IN SAIPAN! いかがですか?

 

 

 

  こちらはサイパンキングフィッシャーゴルフです。

  スカァ~ン!と乗っかったら気持ちいいでしょうね。

 

11月11日  タポチョ山の夕陽

タポチョ山からの夕陽です。

今日のパウパウジャングル&ヒストリーコースはスコールをよけながら行ったので

何時もと逆回りしました。

スコールが通り過ぎるのを待ったりしたのでちょっと時間がかかってしまい、

タポチョ山に付いた頃にはすっかり夕暮れ時!

いやぁ~絶景ですね、タポチョからの夕陽って。

だって、、雲が目線にあるんですよ。 雲を見るのに見上げ無くてよいのです。

写真撮影が今一で、素晴らしさをお届けできないのが残念です。 すみません。

 

11月10日 どう見えますか?

最近とても気になっている事があります。

カラベラ洞窟で撮影した写真です。

私には、、どうしてもお顔に見えます。

水が染み出てきて偶然このような図柄が描かれたのだと思います。

が、、しかし、場所が場所なので、、。

そしてもう一枚。

岩肌のくぼみ?亀裂?から赤い色が滲み出してきたのです。

この赤い色は何でしょうか。 

これがどんどん滲み出して来て、タラッと流れ出したら。。。

11月7日 ちょっと前のサイパンの事

ちょっと前と言っても軽く30年近く経ってるんですが、、。

初めての一人暮らしはここ、サイパンだったんです。

日本では実家暮らしで一人暮らしなんぞもっての他!

こんな娘を一人にさせた日にゃ、よそ様にどんなご迷惑をお掛けするやら!

自由にさせるのは危険!とばかりに一人暮らしはさせてもらえませんでした。

 

初めての一人暮らしは、何やらとても楽しくて嬉しくて、、。

毎日自炊生活(外食する余裕なんぞ無かったし、、)でした。

 

ある日、正月も近いし雑煮でも作ろうかと思い、

冷凍チキンまるごと一羽!買ったんですよ。

その頃は今の用にパーツごとに小分けされている便利な

チキンなんぞ売ってなくて、チキンと言えば冷凍まるごと一羽。

そのまるごと一羽チキンには2種類あって、フライングチキン

シチューイングチキンというものでした。

 

いやぁ~、悩みました。真剣に悩みましたね。

お店の冷凍庫の中をジィーっとのぞいて、ハテ?

フライングチキンってどんな種類なのか?

日本で言う白色レグホンとかそういう鶏の種類なのか?

って事は、この鶏はフライング(飛ぶ)チキン(鶏)?

じゃぁこっちのシチューイング(煮込む)チキンはなんなのか?

悩んでいても仕方ないので、、煮込む鶏(シチューイングチキン)を

まるごと一羽買ったんですよ。

 その後知ったのはフライングチキンは肉が柔らかく、から揚げや

 照り焼き、バター焼き等に使う、普通の鶏肉。

 シチューイングチキンはスープやカレーなど煮込めば煮込むほど

 美味しくなるが、、煮込まないとかなり固くてから揚げむきじゃぁ無い。

 と、言うことを学習しました。

 

まぁ、買ったわ良いが。 ここからがまた苦難、チキンとの戦いですョ。

とりあえずカタマリを解凍し、手足を広げまな板の上にのせました。

いったいどこから切れば良いのやらぁ~。見つめていても誰もやって

くれないので、よし! まずは手足切断から。 

ところが骨って固いのね。 

あっちこっちにエイヤッ、、エイヤッと包丁を入れるが、なかなか切り取れない。

何か、だんだんホラーなチキンになってきちゃいました。

しかし、悪戦苦闘の末ようやく切断解体成功。

 

そして、お湯を沸かして、解体したチキンを放り込む。

ゆだってきたのであくを取り、塩とホンダシ少々入れて味見。

チキンを一つ摘み上げ、パクッと味見。 

むむむむ、、、固い。 すんごく固い。

でも、醤油を入れて、ネギを入れてとりあえず汁は出来上がり。

餅を焼いて汁の中に入れて、とりあえず出来たぜ!バンザイ。

汁の味はそこそこでしたが、結局鶏肉は固くてどうしようもなかった。

 

しかし、、偶然の助けと言うか、、、。

一人暮らしなので、一度作るとかなり長期間にわたって

同じ物を食し続けることになるのです。

冷蔵庫に鍋ごとしまって、、又翌日鍋を出して火に掛ける。

それを繰り返していたら、3日目!!!!

おやっ!鶏肉がとぉーっても柔らかい。 美味い。

こうして私は、フライングチキンとシチューイングチキンの使い分け、

並び、関節から切り離す!という高等技術を学んだんです。

 

まぁ、この後カツオ一匹まるごと編と言うのもあるのですが

又次回。

 

11月4日:カウントカーメル教会の鳥居

チャランカノアにあるマウントカーメル教会。

この教会はお墓と学校が隣接されています。

学校はその昔、日本統治時代に南洋興発の砂糖工場があったところで、

今、お墓があるところは南興神社があった場所です。

南港神社の鳥居ですが、今もお墓の真ん中あたりにあります。

カトリック教会の真横、十字架の並ぶカトリック教徒のお墓にある

神社の鳥居。 不思議な光景です。

サイパンの歴史を物語っていますよね。

何でもこの鳥居は過去に取り壊し工事を行ったことがあるそうですが

どうも「祟りじゃぁ~」と言うような出来事が起こり取り壊しをやめたそうです。

そういえば羽田空港の真ん中にもそんな鳥居がありましたよね、、今もあるのでしょうか。

。。。 そしてもう一つ。。。。

観音様と十字架のコラボレーション。

ローマ法王が見たら気絶するかなぁ?と思う事もしばしば。

 

これもサイパンの悲しい歴史があるからですね。

11月2日 :映画 【太平洋之奇跡】

11月号のハファダイマガジンに映画:太平洋之奇跡に

関する記事が出ていました。

来年2月11日から上映開始だそうです。 (見に行きたいなぁ~)

 

 

 

     太平洋之奇跡はサイパン島タポチョ山で戦った

     【大場隊47名】のお話です。

     (あっ!前にもブログに書いてました)

     原本入手したんですよ。

     タイトルは 【OBA The LAST SAMURAI】

 

     著者はDon Jones 

11月1日 : アメリア・イアハート

実はサイパンに居た!?、、という俗説があるんだそうです。

パウパウスタッフのSEIYAが教えてくれた話です。

 

アメリカ人の女性パイロットで1937年7月に

飛行中に行方不明になり、今だその謎が解けず

どこかに墜落したのかも定かではないという

アメリア・イアハートさんと言う方がいます。

 

初めて大西洋横断飛行を成し遂げた女性パイロットで、

大変お綺麗でしかも知的な方だそうでミス・リンディというニックネームが

つけられ当時大変な人気物だったとか、、。

最期のフライトは1937年7月の赤道上世界一周飛行の途中で行方不明となったそうです。

海に墜落して今だ海底深くに眠っているとか、南太平洋のどこかの島に墜落したとか

いろいろな説があるのですが、、実はイアハートさんはサイパンの日本人刑務所にいたかも!

と言う俗説もあるのです。

  

WIKIによると(日本軍関与説)と言うのがあるそうです。。

では、詳細は以下に。

 

遭難当時はアメリカが日本との間で対立を深めていたこともあり、

アメリカ軍の要請を受け、カロリン、マーシャル諸島など、日本の

委任統治領における日本軍の活動を探る為に飛行した結果、

カロリン諸島に駐留する日本軍によって撃墜され捕らえられた。

という話が目撃者の談話とともにまことしやかに唱えられていた。

 

さらに、「日本軍に捕らわれた後にサイパンを経由して東京に移送され、

第2次世界大戦中に渡り皇居内で拘留され、終戦直前に処刑された。

という説まで、同じく「目撃者」を騙るものの証言とともに唱えられたこともあった。

その上「終戦後解放された後にひそかに帰国し、別人の名前で生活していた」

との説まで唱えられた。

中には東京ローズの正体はイアハートであった」という説もある。

 

しかし、日本軍や日本政府には撃墜や拘留、さらに処刑の記録が

全くないばかりか、上記のように日本海軍の艦艇はアメリカ海軍艦艇とともに

捜索活動も行っている。

また日本軍関係者による目撃の報告すら行われていないため、

これらの説はいわゆる陰謀説の類とされている。

 

と、言うことです。

そして、このサイパン経由で日本に輸送される際に、

一時的にサイパンの日本人刑務所(JAPANESE JAIL)に

留置されていた! らしい、、かも?、もしかしてぇ?のような

説があるんだって!(あの刑務所は1930年に出来ています)

こんな所でサイパンが出てくるとは思っても見ませんでした。

10月31日  ハローウィン

今日はハローウィンです。

 

今年も仮装した子供達がいっぱい来るだろうと、山盛りキャンデーを用意しました。

夕方になり、、来た来た!!!!!

不気味なのやかわいらしいのが続々と。

 

10月30日 : 砂糖王と呼ばれた松江春治氏

の、、お兄さんも凄い人だった!、、って知ってました?

「バルトの楽園」と言う映画。

第一次世界大戦時にたくさんのドイツ人が捕虜として日本に収容されていました。

当時徳島に【坂東捕虜収容所】があったそうです。

この坂東虜収容所の所長が「松江豊寿大佐」と言う方で、この方は

あのシュガーキングとまで言われた【松江春治氏】のお兄さんだったのです。

(私は知りませんでした、お客様が教えてくれました。)

 

この坂東収容所の所長であった松江大佐は捕虜の人権と言うものを

とても大切にされ、人道的な応対、待遇を施し村人達との交流も自由だったそうです。

 

WIKIでは    ↓   と、紹介されています。

 

松江 豊寿(まつえ とよひさ、1872年7月11日明治5年6月6日

 - 1956年昭和31年)5月21日)は、日本の陸軍軍人政治家

最終階級は陸軍少将。第9代若松市長

第一次世界大戦中に板東俘虜収容所所長を務め、在任中にドイツ人俘虜

人道的に扱い地元の住民とドイツ人俘虜を交流させた。

この時、ドイツ人俘虜によって日本で初めてベートーベン交響曲第9番

演奏された。

映画『バルトの楽園』の主人公としても知られる。

 

だそうです、、、。

 

 そして、さすがご兄弟、、、、そっくりです!

右の写真はサイパン神社の銅像、松江春治氏。 左が松江豊寿大佐。

そして又、明日からガイドの日々なのでサイパンの新ネタ拾ってきます!お楽しみに。

今日はもう10月29日なのですが、遡って5日分!

29日: こゆきちゃん再び!

             頑張りました!5日分まとめて達成!

ペットのこゆきちゃん。

今朝も元気にメェーメェー言ってました。

カメラを向けると顔を近づけてくるんですよ。

ちょっと前に初登場したときよりも、こゆきちゃん!ちょっとおおきくなったよね。

28日 :サイパン ワールドリゾート

ワールドリゾートホテルの車寄せ近くに噴水があります。

車を止めて、パウパウアイランドツアーご参加のお客様を待っていたところ、

おや! こんな所にアヒル? 鳥?

 

27日: ラオラオ カッタン ラッテストーン

ここはカグマン高校のすぐ近くです。 道沿いにあるのですが、草におおわれているので見逃してしまいます。

古代チャモロ村の珍しい遺跡です。

 

 

下の6枚の写真のうち上部3枚は写真です。(看板を撮影したもの)

下部3枚は左端が入り口の風景、真ん中の写真がすり鉢です。

古代の人はこのすり鉢で薬を作ったり、木の実などをつぶしていたようです。

左端の写真はラッテ遺跡の一部です。

 

日本統治時代にサトウキビ畑を作る為にジャングルを開墾したさい、この貴重な遺跡を壊してしまったそうです。

又、第2次世界大戦中にはこの場所から2、300メートルの所に戦闘機の滑走路が建設され、

ラッテ遺跡のすぐ側まで建設作業が及んだそうです。

このラウラウ カッタンは耕地開墾作業や、戦争の被害が及んだこのサイパン島ではもっとも保存状態が

良い物だそうです。

26日の分 :日本灯台跡                        

1934年に建てられた日本灯台です。

遠浅の珊瑚礁が続く西海岸にタナパグ港がありました。

この港に入る船に信号を送っていた灯台です。

 

今は、草におおわれていて、しかも悪がき?達のいたずら書きもいっぱいです。

 

 

 

 右の写真は草刈がされていた頃の

 写真です。

 

25日の分: 日本軍弾薬庫跡が草むらに埋もれてしまいました

 

  

 

 

 

 

  

  右の写真は草ぼうぼうではない時の

  弾薬庫です。

弾薬庫の内部です。 蜂がいなくなったので中まで入れます。

サイパンアスリート地区にある日本海軍の弾薬庫跡です。

結局ここはアメリカに占拠されて滑走路も、弾薬庫も米軍が利用したそうです。

日本軍が作った飛行場からB-29が飛び立ち、そして大空襲!  せつない。

それにしても、、当時コンクリートミキサーなんぞは無かったですよね、このコンクリートは

全て人の手でこねられたって事ですよ。   

10月24日  日本軍戦車のタイヤ

昨日、急遽ピンチヒッターで午後のジャングル&ヒストリ―ツアーのガイドに出ました。

最近、パウパウガイドのありさんが快調だったので出番は無かったのですが

体調を崩したようです。 毎日暑いしねぇ、お外仕事は大変!

なので少し休んで頂くことになりました。  当分パウパウガイドは私です!

 

と、言うわけで昨日行ったサイパン空港管制塔近くにある日本軍の戦車です。

じぃーっと見ていたらタイヤに刻印があってよぉーく見ると【明治タイヤ】と読み取れました。

他にはヨコハマタイヤや横浜XXXXX株式会社の文字もあります。

 

すごい! 65年以上経つているのに。 まずはお写真ご覧下さい。

 

          明治タイヤー とはっきり読み取れます

          こちらは【ヨコハマ】と刻印されています。

こちらのはローマ字で「Yokohama」と「HEAVY DUTY」と刻印されてます。  

10月23日、、が飛んでしまった!

今日はもう24日ですが、、、昨日(23日)の分。

 

22日の夜は久し振りのでっかいお月様でした。

月面のちりやガスにおよそ150リットルの水が、

氷の状態で存在するとみられることがわったと

NASAの調査でわかったそうですよね。

月面の水分はサハラ砂漠を上回っているとも

言ってました。

 

ウサギが餅をついてるって言う話や

かぐや姫の話を信じてた頃が

幸せだったような気もするけど、、。

10月22日   蝶々がたくさん!

10月22日です。 早い! 月日が経つのは何て早いんでしょう。。

 

今朝のサイパン、雲は多目ですが晴れてます。

気温はたぶん29度くらい。

風が湿気を含んでいて熱帯低気圧の名残風の様な感じです。

会社の窓から外を見ると、青空に大き目の白い雲がモコモコしているのですが、

風があるので雲の流れは速いです。 真っ白い雲に混ざって時々黒雲の塊が

通り過ぎていきます。

この黒雲は雨を降らせながら北の方へ抜けていくと思われます。

 

朝方、マンゴーの樹、アボガドの樹、サイパンレモンの樹に

沢山の黄色い蝶々が集まってきていました。

こんなに沢山の蝶々がここにいるということは、、、こんなに沢山の

毛虫が居たと言う事!、、、ですよね。 (ひぇッ)

先月は大きめの黒い蝶々がタヒチアンチェリーの花の周りをたくさん飛び回っていました。

そして今飛んでいるのは黄色い蝶々。 今年はやけに蝶が多い気がします。 なぜ!

 

10月21日 今日は涼しい                 サイパン雨模様

マリアナ諸島に熱帯低気圧があり、昨日から急にお天気がクズれはじめました。

今朝は、海洋状況が良くないということで ”ハッピーオ-シャンツアー”がツアーキャンセルになりました。

 

この熱帯低気圧はフィリピンの方向に向かっているようで、明日あたり台風に発達するようです。

当分海洋状況には要注意のようです。

 

 

 

 

 

 

10月19日 今日もあっついです!                    ”日立の樹” モンキーポッド

写真の木は、「♪このぉ~樹、何の樹、気になる樹♪」 の ”日立の樹”!です。

 *TVに出て来る日立の樹はハワイにあるそうです、、知らなかった。

 

 

 

この木、名前は『モンキーポッド』『アメリカンねむの木』と言います。

ちょうど今、ピンク色の花が見頃ですよ。

この写真は今朝、YAMA'Sガレージ

(パウパウがバスを預けている所)で撮影しました。

 

WIKIによると、、。

樹冠は枝を左右対称に大きく広げた形をしている。

2回羽状複葉でシダに似た形をしている葉は、

日の出とともに開き、午後になると閉じる。

降雨前にも葉が閉じることから、レインツリー(rain tree)

という呼称の由来となっている。

 

 

(この木の樹液を吸いに集まるセミの分泌物が雨のように下に落ちるからという説もある)。

年に2回、5月と11月の頃開花、花の色は赤みがかったピンク色からクリーム色がかった黄色まで様々である。

 

 

 

 花だけとってアップにしてみました。

 

 

 実はこの花の名前がわからなくて

 調べていたらちょうどSSV Mちゃんが来たので

 この花の名前知ってる?って聞いてみた所

 「オー、イェース! モンキーポッドよ」

 すごいねMちゃん良く知ってるねぇと関心したら

 「ハワイに居た時にさガイドしてたから覚えてるのよ」

 と、いうことでした。

 

10月18日 月曜日 晴天

挿し木をしていたプルメリアと友人からもらったタヒチアンチェリーの花が咲きました。

 

いつぞや、「庭に椅子とテーブルでも置こうか」と娘に話したところ、

「我が家には庭は無い! 我が家のはただのヤード、ガーデンとは言わない」と手厳しいことを言われ、

ムカットした私は休みのたびに植木を植えてました。

そして、ようやく花開いたのが、、これ!です。

 

いつかガーデンと呼ばせて見せる! 、、、でも結構大変な作業です。

「だったら手伝え!」ですよねぇ~。

 

  今日もサイパンは良いお天気です。 朝からまぶしい。

10月17日 誰もいない!

                      ネッ! ロビーにもだぁれもいません

                        プールにもいないし、、、、、

            見渡す限り無人!!!! 何で、皆さん何処へ。

ふと、ロビーを見回すとそこには誰もいません。

何時もの警備員や、フロントデスクのスタッフはもちろんいました。

でも、、何か花が無い、物足りない風景。

そうなんですよ、、お客様の姿がどこにも見えない。

皆さんどこへお出かけになられたのでしょう。

10月も半ば! もうすぐハロウィン?

10月16日、10月ももう半分終わりましたね。

そろそろハロウィン準備の時期です。

ナショナルオフィスサプライやジョーテンなどではハロウィン衣装も

並べられている頃で、毎年ちびっ子達は今年の衣装は何にしようかと

ワクワクしている頃でもあります。

 

10月31日のハロウィンが終わると11月2日はオールソウルズデー。

オウルソウルズデー、『死者の日』『万霊節』とも呼ばれます。

この日は皆さんお墓に花輪等を飾ってお祈りを捧げます。

 

そして、この日が過ぎるとサンクスギビングデー(感謝祭)です。

11月の第4木曜日なので今年は11月25日。

七面鳥の丸焼きとか骨付きローストハムの塊とか、かぼちゃのパイとか

がテーブルいっぱいに並べられます。

 

サンクスギビングが終わると、、家々ではクリスマスの飾り付けが始まります。

12月に入ると島中クリスマスムードに包まれて、あっちこっちでクリスマスセールが

始まります。

 

そして、又あっという間に1年終わってしまう、、、、。

ふーぅ。

 

 

10月10日 ペット

今日も朝から良いお天気です。

暑くなりますよ! ツーリストの皆様は日射病、熱射病要注意です。

 

ところで、、最近我が家の近くで時々、赤ん坊が『怒ってますか?あなた!』と

言うような感じの泣き声が聞えていました。

今朝!その原因がわかりました。

 

   これです。

 

 

 それは 『ヤギ』 でした。

 しかも、、我が家の『ヤギ』 のようです。

 

 赤い首輪も付けていて、、、

 私の知らぬ間に、ヤギがペットに

 なっていました。

 

 「大きくして食べるつもりか?」と聞いたら

 「そうじゃない、違う」と答えたが

 

 私は忘れてはいない。。

 今からさかのぼる事○十年前!

 だいじに育てていたあの子豚、、、。

 丸焼きにしちゃったくせに。

 

10月9日 ワールドワーⅡ博物館 

アメリカンメモリアルパーク内にある【ワールドワーⅡ 博物館】へ行ってきました。

展示内容が以前と若干変わっていました。

今、サイパン政府の諸事情でサイパン政府が運営している【歴史博物館】は閉鎖されています。

いつになったら開けてくれるのかな!

パウパウツアーズ主催の【博物館ツアー】は当面中止!せざるを得なくなりました。

 

でも、アメリカンメモリアルパークの博物館はあいています。

10月8日 ウィングビーチ

海がめがタマゴを産みにやってくるというウィングビーチです

10月5日 今日も晴天

雲は多いですが、

日差しが強くて

今日も暑いです。

 

しかし、木立の影に行くと

心地よい風が吹き抜けて

ホッとするほど

涼しいんですよ。

 

木陰に入って

空を見上げたら

こんな(写真)感じ。

 

今朝は虹も見たし、

キングフィッシャーも

見ました。

 

 

 

 

何ぞ良いことがありそうな、、、、、。  あって欲しいような、、、、。  あるといいなぁ~。

 

 

 

 

 

 

 

10月3日 晴天 たぶん気温31度くらい

バードアイランド、何時もの展望台より右側奥の場所に

ちょっとだけ下に降りていける場所があります。

岩なので足場はとても悪いです。

 

何時もと別方向からバードアイランドの写真を撮ってみようと思い

降りてみました。

今日は晴天で海も穏やかです。 紺碧!水平線も丸い!

 

ふと見ると慰霊碑があります、黄色いお花が供えてありました。

新しいもののようです。

碑には【沈 宏文 - 永眠地 - 1/1/2000】とありました。

ここで何があったんでしょう。

ウィングビーチ  10月2日

ちょっと雲がかげってしまいましたがウィングビーチです。

お水が透き通っています。

10月1日 パウパウツアーズ5歳

皆様、有難うございます。

おかげ様でパウパウツアーズは本日10月1日で開業から丸5年を迎えました。

写真のケーキ! お祝いに頂きました、有難うございます。

これからカットするので、、よろしかったらどうぞ、、。

 

思えば2005年10月。

JAL便の路線撤退と言う最悪の状態でスタートしたパウパウツアー。

まぁ~、これ以上悪くなることは無いだろう、、、と、たかをくくっておりました。

いやぁ~、どん底ってあるんですねぇ。あれからサラにサラに苦しくなって、、。

たぶんぎりぎりのところあたりまでは行って来たように思います。

 

今日があるのは皆様のおかげです。

スタッフ一同初心に帰り新たなスタートを切るべくこれからも頑張っていきます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

マンサニータ?!  9月27日

マンサニータ!食べてみました。

思っていたよりずっと甘くておいしかったですよ。

今日(10/01)サイパン熱帯植物園の○根っち(本人曰くひげの庭師)から

電話を頂いたんですよ。

 

内容は、マンサニータはチャモロ語です。

チャモロ語に間違いありません。

 

スペイン語でマンサーナと言うそうでりんごの意味だそうです。

(でも、、どう見ても食ってみてもりんごじゃぁない。)

 

日本語ではなんていうの?と聞いてみたが、、わかりません調べます。

との事でした。

わかったら教えてください、、ひげの庭師さん。

 

 

この赤い実をつけている木は

マンサニタとかマンサニータとか言うそうです。

でも、調べてもどこにも載っていないんです。

 

マンサニータで探すとでてくるのは

フラメンコ音楽のアーティスト!

アップルソーダのような爽やかなカクテル!

 

と、この関係しか探せないんです。

 

 

ピートもマンサニータって言ってましたし、

植物園でもマンサニータと言ってました。

 

マンサニータってもしかしてチャモロ語?今、あちこちでこの赤い実がなっています。すごく甘いらしい、、、、。

 

今日のビーチ! 綺麗でしょう。 9月26日

サイパンのラッテストーン

オブジャンビーチにあるラッテストーンです。

古代チャモロ人たちの遺跡、タガ遺跡などとも呼ばれています。

悲しいかな、日本統治時代の農地開拓やら第2次世界大戦での

空襲やら、砲爆やら、なんやかやでサイパンにあったと思われる

ラッテストーンは殆ど残ってはいません。 残念デス!

 

フィッシュポイズンツリー 魚の毒? 魚に毒?

フィッシュポイズンツリー

和名:ゴバンノアシ

 

その昔は「毒流し漁」に

使われました。

種子をすりつぶし

魚が住みついている

穴や潮溜まりに流し

魚を窒息させて漁を

したそうです。

 

この木はサイパンの

あちこちで見られます。

が、今は、サイパンでも

この方法での漁は

禁止されています。

リシン- 蓖麻 - 毒 (トウゴマです)

これはトウゴマです。

もう少しすると赤い花が咲いて、種がとれます。

が、この種にはリシンと言う毒たんぱく質が含まれています。

そして種から取れる油はひまし油です。

そしてこのリシンは猛毒だそうですよ。

体重1kgあたり0.03mgが最低致死量です。

 

花が咲いて、種が出来るのが楽しみ!

9月17日 サイパン夕焼け

ピーコックフラワー

ラオラオゴルフ場の車寄せの辺りに咲いていました。

今、満開ですよ。

枝も葉っぱも島じゅうを埋め尽くしているタガンタガンにそっくりです。

タガンタガンにこんな赤い花が咲いたっけ?

新種?珍種?

まぁ、とりあえず写真を撮っておこう。

 

そして、パウパウアイランドブログの方でアップされている

お菓子シリーズを見た植物園の○根っちがお菓子を食べに

パウパウオフィスへやってきました。

おっ、ちょうど良い。

で、○根っちに写真を見せましたところ、、。

 

これは【ピーコックフラワー】です。

和名では【オウゴチョウ】と言います。

タガンタガンではありません。

と明確な回答を頂きました。(さすがぁ~植物園勤務!)

お菓子食べてヨシ!

植物園にもたくさん咲いていて、ピンク、オレンジ

黄色いお花もあるそうです。

 

 

 

ものすごく良いお天気、、、だったのに。

9月17日

今日は晴天、P-カン。

ものすごく暑くなりそうです。

マニャガハ日和、ビーチ日和、、そして何よりも洗濯日和。

バードアイランド、バンザイ岬の海もさぞや美しかろう、が、しかし

暑そう!~。

などと思っておりましたところ、ふと外を見ると、、、、。

何これ、どしゃぶり。

しかも雷まで!

これは、午後の観光は中止したほうが良いかなぁと思案しておりました。

お客様が「雨天決行」というお気持ちであれば、いつでも出発できるよう

家まで雨用ジャンパーを取りに行ってきました。

ヨシ、、準備万端。

が、しかし、、又晴れました。

もう、、暑い熱い。 汗だくです。

さっきの雷とドシャブリの雨はどこへ行っちまったんだと追いかけたく

なるくらいの暑さでした。

 

 

9月7日 相変わらずスコールが、、、

朝、家を出たときは「おぉ~、今日はいい天気観光日和じゃぁ~」と

軽快に車をスタートさせました。

でも、夕べ降ってるから、タポチョの道と日本トンネルへの道が心配だ!

カラベラはたぶん問題ない♪ 等など心地よく車を走らせ一路会社へ、、。

 

そうだ、ひまわりへ寄って朝御飯でも買って行こう。

8時30頃ひまわりへ付いてお買いもの♪お買い物♪

会計を済ませて、どうもぉ~とかわけのわからない挨拶をして

外へでようとしたらドシャブリ、、、。 

おぉっと? すぐ止みそうだけど、こりゃ又たくさんのお水が空から、しかも

すっごい勢いで、、落ちてくるではありませんか。

 

又今日も、、スコール、、ピーカン、、スコール、、ピーカンの1日か。

温度を見ると30度、まだ日本よりは涼しいんだ。

日本の皆様、、サイパンへ避暑にいらっしゃいな。

 

そして、。

タポチョへの道はやっぱ壊れてました。

カラベラは大きな水溜りが出来ていますが車高が少し高ければ大丈夫です。

セダンレンタカーはやめておいたほうがいいと思います。

泥濘にはまったら助けてくれる人、、なかなか通りません。

マニャガハ島日和♪♪ 9月5日

マニャガハ島と言えばタシーツアーズ!

今日はマニャガハ日和だったらしく、09時のボートも10時のボートもいっぱいでした。

パウパウのお客様4名様は11時のタシーツアーズボートで出発しました。

マニャガハのランチ! そういえばながい事食べてない!

お写真はタシ-ツアーのマニャガハランチですョ。 

○田さんが以前送ってくれたものです。

変わってないですよね! お客様に説明しちゃいましたよ!

スコールは今日も来た、、、やっぱなぁ~

激しいスコールでカラベラ洞窟へ行く道が

日毎に破壊されていきます。

おととい(9月2日)の午後は降るなぁ~っと

お日様ごいをしてみたものの、ヤッパ降りました。

昨日は慰霊コースに行っていたのでカラベラには行かなかったの

ですが、今日行ったらもうぐちゃぐちゃで車高の高いバンじゃなきゃ無理!

でもねぇ~、、パウパウアイランド観光の目玉でもあるカラベラ洞窟なので

何としてでも行かなくちゃ!

で、、行きましたよ、、今日も。

カラベラ洞窟の壁にあるこの絵! ご存知ですか?

古代人が書いた物だそうです。

カヌーの絵です。

 

 

 

 

      そして、こっちは人です。

      他にも亀の絵なんかもあるんですよ。

      

      アイランド観光に参加して頂く方には

      是非お見せしたいので通行止めにでもならない限り

      頑張ってぐちゃぐちゃ道を走り抜けます。

      でも、、そぉ~っと行くんです。

      勢いよく走り抜けると、更に道が崩壊し

      次に通る人が困る。。。っていうよりも

      自分達が帰るときに困るからです。

あれっ!9月になっちゃいました

9月2日晴天

早いですね、もう9月です。

8月末からスコールの回数がやけに多くて

あっちこちで道が壊れてしまっています。

サンビセンテは相変わらず道路工事中なので

赤土と雨と水道管でも破裂した?って言う感じで

道路はぐちゃぐちゃです。

車を洗う気にはなれません。

 

この雨で心配なのはパウパウアイランドコースで行く

カラベラ洞窟です。

バードアイランドの先の細い道を入って行きますが

あの道路が今は大きな水溜りが出来ていて、しかも赤土なので

すべるし、、はまりそうだし、行く度にヒヤヒヤします。

 

今日のこの天気が明日も続いてくれて夜中のスコールも降らなければ

たぶん回復すると思うのです。

おねがい!道、、乾いて!

 

8月29日 タヒチアンチェリー

昨日は1日中晴天!暑かったぁ~。

今日は夕方スコールが来て少し涼しくなりました。

 

ところで、、思い込みって怖いわ (汗)

この赤い可憐な花。

なぜか、、何故かわからないんだけどずぅ~っと

「タイワンチェリー」って言う花だと思い込んでおりました。

あぁ~、、どうしましょう。

お客様にも言っちゃった!!!!

ごめんなさい、、タイワンではなくてタヒチでした。

【タヒチアンチェりー】です。

お友達の○とみちゃんにも、、タイワンチェリーだよ!と

自信満々で言ってしまいました。 ゴメンね!

カラベラ洞窟へ行きました 8月27日

8月27日

今日は昨日に引き続きよいお天気でした、、。

が、、夕方17:30頃から見る見る東の空がくらぁ~くなって

ずん、ずん、ずんっていう感じで黒雲がおしよせ、、

ザァッ~と雨がふりだしました。

又、この雨でカラベラ洞窟へ行く道がぐちゃぐちゃになります。

今日はカラベラのカラベラたる所以を写真に収めようと思ったのですが

フラッシュたいても真っ暗でした。。。

8月24日 朝は晴天午後はドシャブリ

昨日も今日もです。

朝は晴天、今日も暑くなるかもねぇ~!

 

 

  フィエスタリゾートのビーチも

  爽やかそのものです。

 

 

  が、、しかし、、、。

  午後になると突如黒雲がわいてきて

  あれよあれよと思う間にあたりはくらぁ~くなり。。

 

 

 

   そして、、、、

   ドシャブリの雨 !

   そんな日がもう3日も続いています。

   

8月22日 日曜日

日曜日、朝のアメリカンメモリアルパーク。

今朝は少し曇り空でしたが沢山の人が散歩したりジョッギングしたり、、。

写真はメモリアルパークとアウターコーブの間に位置する海を

メモリアルパーク側から撮ったものです。

 

朝時間があったのでしみじみメモリアルパークを歩いてみました。

 

 

 CARILLION ベルタワー 

 

第二次世界大戦で戦死したアメリカ人、北マリアナ諸島の人々の為に

建てられました。

サイパンの人たちは「ミリタリーベル」とも読んでいます。

この鐘は朝08:00から夜8時まで30分毎にチャイムが鳴りますが

その選曲はアメリカ、北マリアナの国歌、軍事国歌や人気のポピュラー音楽などです。

一度耳をすませて見てください。

 

 

 

 

ここには沢山の人の名前が刻まれていました。

第二次世界大戦で犠牲になった現地の方のお名前です。

 

 

 家族と思われる方々のお名前がたくさんあります。

 65歳、4際、9歳、、、、。

年齢も刻まれていました。

郵便アドレス変更は大変だ! 8月20日

私書箱(P.O.BOX)番号が変わって、変更届を

出しているのに請求書が来ないんですョ!

放置しておいて知らぬ間に切られてた何ていうのは

すっごく困るので再度行ってきました。

 

1、CUC (電気、水道)

      私:郵便アドレス変更届を出したんだけど請求書が来ていないので

        調べてください。

 CUC係員:コンピューターをチャカチャカたたいて

        届出は出てないわね。

      私:3回出したけど、、、、、。

 CUC係員:いつ?

      私:1ヶ月位と先週と、、昨日も。

 CUC係員:誰に?

      私:(家に電話で確認、、、誰に変更届出したの!!)

        (ナ二! マニ○サン。。 あっそう)

 CUC係員:はぁ。。マニ○サンね! わかったわよ、、見たいな顔して。

        OK、ジャ今ひかえるわ、新住所言って!

 

おぉ~、、これで4回目だ、のどかすぎサイパン!~

      

今日は涼しい! 8月19日

今日のサイパンは最高気温28℃、最低気温26℃。

何時もとそれほど変わらないのに、、涼しい。

タポチョのほうに雲がかかっているので一雨来るかもしれません。

この時間にザーっと雨が降ってパッと上がった後の夕陽は

ものすごくキレイです。

赤く染まった雲の切れ間からのぞく大きな大きな夕陽。

突然、「太陽にほえろ」のテーマソングが頭にうかんできた。

一度浮かぶととまらない、、、チャチャチャ~、チャチャチャチャァ~。

 

暑い!めちゃくちゃ暑い 8月17日

今日はめちゃくちゃ暑かったです。

お昼ごはんを食べに行った帰り、パセオデマリアナスの通りを

歩いていて「暑いよぉ~」と弱音を吐いていたら

P-とさんがアイスクリームを買ってくれました。

 

それでも日本より涼しいらしいです。

暑いですネェとお客様に言ったら「何言ってんの、東京よかずっと涼しい」と

言われました。

 

サイパン!これからもっと暑くなります! が、最高気温は28か29度くらいなんです。

でも、泊めてあった車の車内温度って言うのはとんでもない事になってますので

要注意です。

車のドアを開けた瞬間に熱気で気絶しそうになります。

いえいえ、、けしてオーバーではありません。

 

終戦記念日

サイパン島玉砕は昭和19年7月9日。

日本が敗戦した終戦記念日、昭和20年8月15日の

1年近くも前です。

 

8月15日の玉音放送を日本国民はどんな思いで聞かれたことかと、

毎年この日が来ると考えてしまいます。

 

今日のサイパンは晴れ⇒スコール⇒晴れ。

 

 

中部太平洋戦没者の碑
中部太平洋戦没者の碑

もう8月!も半ば、、。

あっという間に8月半ばになってしまいました。

今日は8月13日、晴天です。

植物園ではドラゴンフルーツの花が満開のようです。

そして、もうすぐ終戦記念日です。

先月(7月)に日本のテレビ局の方が取材に来ていました。

バンザイ岬、中部太平洋戦没者慰霊碑、ドンニーの

野戦病院などを取材されたようです。

8月15日の終戦記念日特別番組で放送するそうです。

見たいなぁ~! でもNHKしか無いので残念。

 

 

 

 

 

  ドラゴンフルーツの写真です。

 今、サイパン熱帯植物園に行くとみられます。

夕べのお月様 7月25日です

夕べ(7月24日)家の庭で撮影しました。

ISO800で撮影。

不気味な夜空になっちまいました。

 

お隣の一家がお引越しをしてしまいました。

お加減の悪い人が一人いらっしゃるのですが、

何でもウィッチドクターにみて貰ったらこの場所に

原因があるから住処を替えるように言われたそうです。

このお月様見てたら、、、何かわかる気がするような、、、。

もう一枚は雲、木がかぶらないお月様だけです。

お月様の撮影って難しいですね。

7月20日 晴天

スコールは来るかもしれませんが、今日は晴天!

昨日一昨日と雨がたくさん降ったので植物が

イキイキしてます。

写真は【シャシャップ】です。

和名では【トゲバンレイシ】と呼ばれ小笠原の方では

栽培されているようです。

英名は【Sour sop】

サイパンでは、、シャシャップ、サワシャップ等と

呼ばれています。

このシャシャップ、来週くらいが食べごろかも!

周りは何か出来損ないの太りすぎた芋虫みたいですが

中は真っ白でその実は爽やかな柔らかい酸味と甘さ!

繊維もたっぷり。 美味しいですよぉ~。

今は時期なのであっちっこっちで見ることが出来ます。

 

 

 

そして、もう一つ。

これからが旬!なのがこの【ブレッドフルーツ】

サイパンではパンの木(パンの実)などと呼ばれています。

かなり大きな木で15メートル位の高さになります。

 

このパンの実は丸ごと焚き火やバーベキューの

火種の中に放り込みます。

そうそう、日本の焼き芋方式ですよ。

 

周りが真っ黒で炭みたいになったら取り出して、

皮を取って中身だけにすると、、。

まぁ、、ほっこりとしたほんのり甘い芋みたいな味です。

ココナッツミルクで茹で上げたり、スライスして

パンの実チップを作ったり。

まさに自然の恵みです。

ココナッツミルクで茹で上げたパンの実に

ちょこっと醤油をたらして食べるのが好きです。

7月19日!

7月14日に慰霊巡拝ツアーへ行きました。

タポチョの山頂や、ドンニーの野戦病院、極楽谷などを

回るので14名乗りのVAN2台で行きました。

1台のVANはパウパウ名物ガイドのアリさんが

ドライバー兼ガイド。

で、もう一台はといいますと、、、。

ピートがドライバーでガイドは私メが勤めさせて頂きました。

VANの助手席で右ひねり後ろ向きでガイドすること

朝の10:00から夕方16:00まで。。。

腰に来ました、、。

翌日ぎっくり腰!!!!

丸3日間動けなぁ~い、、。

そして本日ようやく半分復帰しました。

 

 

 

ところで、久し振りになってしまったドンニーの野戦病院。

お掃除に行かなくちゃ! と心から思いました。

腰が完全復帰したらお掃除行きます。

御一緒されますか?

7月12日朝 ガラパンは晴天! 

 

 

 

今日は昨日とはうって変わって晴天!

雲はあるけれど雲の流れが速いので

雨が降っても通り雨程度でしょう。

ところどころパパッとスコールが降るとおもいますが

たぶんすぐ止みます。

 

なんちゃって、、当てにならない天気予報でぇ~ス。

 

パウパウのココナッツピッグ達も

お日様に当ててやりました。

7月11日朝! ドシャブリ

 

 

朝、会社に行こうと外へでたら土砂降りの雨でした。

思わずこの雨で車を洗いたい!と思いました。

サイパンの水道水で車を洗うときは完全にふき取りをしないと

石灰分などが車に残って完全に乾いたあと悲惨なことになってます。

が、、この雨(昔の人たちはこの雨を”天水”と呼んでいました)

天水で洗うと、ふき取りをきっちりしなくてもきれいになるんですよ。。

 

 

 

 

 

 

庭の椰子の木も、これぞまさしく”シャワー”

 

 

 

 

で、会社にたどり着いても雨。

ここはフィエスタリゾート&スパの入り口付近です。

 

 

 

 

 雨ですが、お花は嬉しそうです。

 フィエスタのガーデンで撮影してきました。

サイパンで地震が!

7月10日15:43分ごろサイパンで地震がありました。

 

驚きました! 今年はこれで2回目です。

5月3日に地震があり、あの時は5年ぶりに体感する地震だったのです。

2ヶ月ちょっとの間に2回も地震があるなんてサイパンでは珍しいです。

 

で、今回の地震詳細ですが、発表されてたのは下記でした。

 

マグニチュード5.5

震源地はロタから南西25キロ地点。

震度はグアム、ロタで4、サイパンでは2から3と発表されました。

がこの震度階級はアメリカ式なので日本気象庁の地震階級とは若干異なるかも

知れません。

アメリカ式は1~12段階の改正メルカリ震度階級で、アメリカ、韓国等が

この方式だそうです。

Modified Mercalli intensity scale, MMI scale

ちなみに日本気象庁のはJMA seismic intensity scaleと言うようです。

 

さっきの地震、席に座っていたのですが、いきなり後ろからグラっと押されたように

前へつんのめりそうになり、思わず ”あっ~”と叫んでしまいました。

YちゃんとKちゃんとPトが一緒にいたのですけどね!

あの人達、、気付くの遅ぉ~い!!!!

 

66年前の今日 サイパン玉砕の日

今から66年前、1944年7月9日は第2次世界大戦で

サイパン島が玉砕した日です。

戦火に追われ避難してきたたくさんの民間人が

マッピ岬(バンザイクリフ)から投身自殺をしました。

バンザイクリフはサイパンで一番日本に近い場所です。

この日、アメリカ軍はサイパン島の占拠を宣言しました。

 

米軍はサイパン島のアスリート飛行場や

テニアン島似飛行場を整備し始めました。

 

そして、同年11月24日の東京大空襲はこのサイパン島から飛び立ったB29によるものでした。

 

黙祷

今のところ快晴!でも時々スコール

完全に雨季に入ったようです。

でも今は快晴! 山の向こうに雲が見えてるので

部分的スコールが来るもよう。

でもすぐ止みます!

7月8日

法輪大法教会サイパン支部

今日7月5日は昨日の独立記念日振り替え休日で、

銀行もお役所もみぃーんなお休みです。

(学校はもう夏休みに入っています)

なので道路は車も少なく静かな日です。

お天気も良好! 最高気温29度

 

昨日のパレードは最初少しだけ雨に降られたようですが

大成功に終わったようです。

今日のサイパントリビューン紙に記事が出ていました。

法輪大法教会サイパン支部のパレードも

でていたそうですが、100人ものメンバーがパレードに

参加されたそうです。

バンザイクリフやストリートマーケットでたまに

見かけるのは10人くらいだったので100人もメンバーが

居たんだとちょっと驚きました。

 

法輪大法は中国国内では弾圧、迫害されているようです。

日本にある中国大使館のページにも迫害や弾圧を意味する

内容が書かれていました。

真意は何処に、、、、、、、。

 

インディペンデンスディ アメリカ独立記念日

今日、7月4日はアメリカの独立記念日です。

アメリカもむかぁーし昔はグレートブリテン王国

今のイギリスの植民地だったんですね。

アメリカも激しい独立戦争を経てようやく

植民地から解放され「アメリカ合衆国」として

独立国となったのが1776年7月4日。

なので今日は独立記念日でもあり、

234歳のお誕生日でもあるわけです。

 

ここサイパンでも毎年この日になると

道路閉鎖をしてパレードが行われます。

このパレードはアメリカパスポートの人は

もちろんですが、フィリピン、韓国,中国、

もちろん日本人グループもでます。

日本人グループはお神輿、阿波踊り等

チンドン屋さんがパレードをした事もあります。

そして今年もパレードはもう始まっています。

でも、、私はお仕事、、見に行けない!

 

 

何屋さんが出きるのかな

フィエスタリゾートの前の通り、

パセオデマリアナスにこんなお店らしき入り口が

出来ているのですが、、。

いつまでたってもオープンしませんねぇ。

何屋さんができるのでしょうか!

 

 今日は6月28日です。

 

晴れました!晴天

ここ2,3日サイパンのお天気はあまりよくなかったのですが、、

今日は晴れました。

そして、友遠方より来る

彼女が来ると晴れるんですよ、、よっぽど普段の行いが良いのだろうか!

イヤァ~!そんなはずは無い。

だって私のずぅ~っと昔からのお友達だし、、。

 

 

ほらっ! いいお天気でしょう。

フィエスタリゾート&スパのお庭です。

 

今日は6月27日

みなさぁ~ん!

ごめんなさい。

サイパンのお天気今一パッとしません。

晴れてるなぁ~と思ってたら、突然ザァーっと音がするので

窓開けたらスコールザンザン降り

あっ、雨止んだじゃんと思って安心してるとドンヨリ曇ってて

今日の天気は雨のち曇りまた雨、時々晴れ!

 今日は6月25日

 

サイパン小人伝説

昨日のことです。

家の庭にコビトがいたって、、。

隣のお家の人が見たそうです。

残念、、お目にかかりたかった。

この続き、、【ひとり言のページ】に書きました。

良かったら見てみてみてみて!

 

今日は6月19日

 

 

報告:マンゴーシーズン終わっちゃいました。また来年。  今日は6月15日

フィエスタリゾート&スパ内 ロビー階(パウパウオフィスの目の前)

のシャンブルバーではサッカーゲームの上映を行っています。

 

2010FIFA WORLD CUP SOUTH AFRICA

入場料1ゲーム $10.00

 

6月12日【韓国VSギリシャ】の試合から見られます。

 

 

 

パウパウオフィスの大家さんでもある

フィエスタリゾート&スパ。

ロビーのお色直しです。

ソファーセットが涼しげな籐製品に

変わりました。

テーブルがガラス!

ん~、、ちょっとだけ心配。

 

 

 

 サイパン空港からホテルまでの道!

 

 ここはエアポートロードです。

 この時期はここの南洋桜(火炎樹)が見事に咲いて

 到着したお客様は皆様「おぉ~」とか「まぁ~」とか

 「すごぉ~い」とか感激されます。

 見頃は今ですよぉ~皆さん!

ようやく雨が降るようになりました。

雨といってもサイパンの雨は

シトシトシトシト静かに目立たず地味に

降るわけではありません。

雲の塊が遠くの方から近づいてきて

あっ来るかな!って思っていると

突然ものすごい勢いでザァーと降って

さっさとどこかへ行ってしまうのです。

その後の海に沈んでいく夕陽は最高です。

少し雲があったほうが幻想的です。

 

まさにこの写真です。

ちっと名の知れたカメラマンが撮ったんですがお友達なので載せさせて頂きました。

写真も素敵ですが、本物には匂いもあるんですよ。

そう、夕陽の匂い!是非お試しを。。。