玉砕 最後の訓示 南雲中将
大日本帝国陸軍指揮官は斉藤義次中将
第43師団長として陸軍を指揮。
大日本帝国海軍指揮官は南雲忠一中将(後に大将)
南雲中将玉砕最後の訓示
サイパン全島の皇軍将兵に告ぐ、米鬼進攻を企画してより茲に二旬余、
在島の皇軍陸海軍の将兵及び軍属は、克く協力一致善戦敢闘随所に皇軍の面目を発揮し、
負託の任を完遂せしことを期せり、然るに天の時を得ず、地の利を占むる能はず、
人の和を以って今日に及び、今や戦ふに資材なく、攻むるに砲熕悉く破壊し、
戦友相次いで斃る、無念、七生報国を誓ふに、而も敵の暴虐なる進攻依然たり、
サイパンの一角を占有すと雖も、徒に熾烈なる砲爆撃下に散華するに過ぎず、
今や、止まるも死、進むも死、死生命あり、須く其の時を得て、
帝国男児の真骨頂を発揮するを要す、余は残留諸子と共に断乎進んで米鬼に一撃を加へ、
太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。
戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず』勇躍全力を尽して従容として悠久の大義に
生きるを悦びとすべし。
「生きて鹵囚の辱めを受ける事なかれ」
この精神が軍人のみならず民間人にも指示されていた、
この事によりサイパンの戦いでは多くの民間人が自ら命をたった。
民間人は戦闘には無関係である、住民達の保護を行うのも軍人の勤め。
と、されているものの実際の戦争では到底守りきることなど容易ではないでしょう。
バンザイクリフ、スーサイドクリフでの投身自殺や防空壕、洞窟内での多くの自決は
こういう背景があっての出来事だったのでしょう。